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'''綸言汗の如し'''(りんげんあせのごとし)
「綸言」の出典は[[孔子]]の『[[礼記]]』緇衣篇である。原文では「王言如絲,其出如綸;王言如綸,其出如綍」<ref>[http://ctext.org/liji/zi-yi/zh 中國哲學書電子化計劃]</ref>となっており、王のちょっとした言葉
「汗の如し
== 概要 ==
古来から、皇帝など国家の支配者の発言は神聖であり絶対無謬性を有するとされ、臣下が疑念や異議を差し挟むことは不敬とされた。
このため、一旦皇帝から発せられた言葉は仮に誤りがあっても、それを訂正することは皇帝が自らの絶対無誤謬性を否定することになり、皇帝の権威を貶めてしまうため[[タブー]]とされた。
このため、「綸言汗の如し」(皇帝の発言は、かいてしまった[[汗]]のように体に戻すことができない)という古典典籍の言葉を引用、格言として軽率な発言やその訂正を戒めた。
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== 日本での受容 ==
[[鎌倉時代]]に成立したといわれる『[[平家物語]]』の『頼豪(らいごう)』に、[[三井寺]]の僧、[[頼豪]]が[[白河天皇]]を評して、「てんしには たはぶれの ことば なし。'''りんげん あせのごとし'''とこそ うけたまはつて さふらへ<ref>[http://www.j-texts.com/ 日本文学電子図書館]</ref>
[[室町時代]]に成立した『[[太平記]]』巻第十四・『将軍御進発大渡・山崎等合戦事』には「かく計たらさせ給ふ'''綸言の汗の如く'''になどなかるらん去程に正月七日に、義貞内裏より退出して軍勢の手分あり
[[明治時代]]に編纂された事典『[[古事類苑]]』にも、「綸言如汗」の項が作られている<ref>[http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/ 電子化古事類苑]</ref>。
== 類似の事例 ==
なお、この格言の意図は中国の皇帝に限らず、君主の態度としてある程度普遍的な考えである。
== 脚注
<references/>
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