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'''太師'''(たいし)は、[[中国]]古代より使われた官職名。[[天子]]の師。
『[[漢書]]』百官公卿表上によれば[[周]]においては太師、[[太傅]]、[[太保]]が[[三公]]と呼ばれ、天子を助け導き国政に参与する職であったとされる。
[[漢]]においては[[前漢]]の[[平帝 (漢)|平帝]]
[[後漢]]においては太師は置かれなかったが、
[[晋 (王朝)|晋]]において再度太師、太傅、太保を置いたが、「師」が景帝[[司馬師]]の[[諱]]であることから[[避諱|避けて]]太師を
それ以降の王朝でも[[清]]に至るまで太師、太傅、太保が置かれたが、総じてふさわしい者が居なければ空位とする名誉職であった。[[明]]の例では、生前に太師となったのは[[洪武帝]]の建国の元勲で77歳まで生きた[[李善長]]が左[[丞相]]を退任した後になったぐらいで、[[宣徳]]・[[正統 (明)|正統]]年間の「三楊」([[楊栄]]・[[楊士奇]]・[[楊溥 (明)|楊溥]])や[[万暦]]年間の[[張居正]]のような宰相級の功臣で病死した者でも没後に太師を追贈されるにとどまっている。
なお、周代、上記の天子の師以外に[[楽官]]にも「太師」の名が見える。
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