「アミュンタス3世」の版間の差分

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即位の年、アミュンタスは[[イリュリア]]人により一時王位を追われたが、翌年、[[テッサリア]]人の助力により復位を果たした<ref name=moritani/>。アルケラオス1世時代以来王家と関係の深かった、[[ラリサ]]の{{仮リンク|アレウアス家|en|Aleuadae}}が支援したと考えられている。
 
アミュンタスは国土への侵入を繰り返すイリュリア人の脅威に対抗するため、{{仮リンク|オリュントス|en|Olynthus}}市を盟主とする{{仮リンク|カルキディア同盟|en|Chalkidian League}}と提携し、支援と引き換えにオリュントスに領土の一部を割譲した<ref name=moritani/>。このときオリュントスが得た領土内の木材は[[アテナイ]]艦隊の強化に使用されたが、この代価によりオリュントスの国力増大を招いたことから、アミュンタスは他の同盟国を求め、{{仮リンク|[[オドリュサイ王国|en|Odrysian kingdom}}]]の王{{仮リンク|コテュス1世 (オドリュサイ王)|label=コテュス1世|en|Cotys I (Odrysian)}}と連携した。コテュス1世の娘は既に[[アテナイ]]の[[将軍職 (アテナイ)|将軍]][[イフィクラテース]]と結婚していたため、アミュンタスはイフィクラテースを養子とすることとした。
 
[[アンタルキダスの和約]]の後、[[スパルタ]]はギリシア北部における自己の存在感を回復することを望んでいた。[[紀元前385年]]、{{仮リンク|バルデュリス|en|Bardyllis}}率いるイリュリア人は、[[エピロス王]][[アルケタス1世 (エピロス王)|アルケタス1世]]を復位させることを画策した[[シラクサ]]の[[ディオニュシオス1世]]の扇動と援助を受け[[イピロス]]を攻撃した<ref>「モロッシ人の王であったアルケタスはディオニュシオスのもとに亡命していたが、ディオニュシオスは武器と2000人の軍をイリュリア人に送り、イリュリア人はイピロスに突入して15000人のモロッシ人を虐殺した。スパルタはこの出来事を知るとすぐこれに介入してイリュリア人を追い出したが、アルケタスは復位した…」(N. G. L. Hammond, ''A History of Greece to 322 B.C.'' 1986, ISBN 0-19-873095-0, p. 479)</ref>。このような情勢のもと、アミュンタスはスパルタの援助を求めた。スパルタは、[[古代ギリシア|ギリシア]]の[[覇権]]を巡るライバルであったアテナイとテーバイに支持されているギリシア北部の新興勢力であったオリュントスを打ち破るという動機もあり、アミュンタスとの盟約を締結した。[[紀元前379年]]、アミュンタスはスパルタの支援のもと、オリュントスの勢力を削減することに成功した。更に、アミュンタスは[[紀元前372年]]、[[テッサリア]]の支配者{{仮リンク|フェライのイアソン|en|Jason of Pherae}}と[[アテナイ]]との同盟に参加した。[[紀元前371年]]にスパルタで開かれた全ギリシアの和平会議の席上では、アミュンタスはアテナイへの賛同票を投じ、アテナイが[[アンフィポリス]]を回復する票決に貢献した<ref>[[アイスキネス]] - On the Embassy [http://www.fordham.edu/Halsall/ancient/aeschines-embassy.html 2.32]</ref><ref>History of Greece [http://books.google.com/books?id=5hcPAAAAYAAJ&pg=PA336&dq=371+BC+Amyntas+Amphipolis#PPA339,M1] by George Grote</ref>。