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== 概要 ==
島には後述の山が2つあり、「四里の小島に高嶺がある」という言葉が島の名の由来となっている。かつては高嶺島(香根島<ref name=":1" group="注" />)と表記されていたが、名前を改め高根島となった。
 
また[[芸備国郡志]]([[1633年]])には加宇称浦と言う記述が見られる。これが高根島のことであれば「かうね」と読むことが出来、発音としては「こうね」であるという頃は容易に推察できる。尚、島内の小字に「宇根」(宇祢・ウネ)がある。
 
[[蜜柑|みかん]]を主とした[[柑橘類]]の栽培が盛んである。島の西岸は青戸瀬戸で本州(三原市須波町、三原市幸崎町)と隔たれ、東南岸から瀬戸田水道を挟んだ向かいには[[生口島]]があり、両島は高根大橋(延長 205 [[メートル|m]])で結ばれている<ref name="2015-03-11">{{Cite web |date=2015-03-11 |url=http://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/97/kohne-bridge.html |title=高根大橋 (こうねおおはし) |publisher=[[広島県庁]] |accessdate=2015-08-14}}</ref>。
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江戸時代はその初頭を除き、広島浅野領で、三原浅野家老支配下である。
 
[[市町村制]]施行までは近隣の瀬戸田町・沢村・鹿田原村・中野村・福田村などとは異なり村名は無く、「高根島」であった。[[芸備国郡志]]([[1633年]])には加宇称浦と言う記述が見られる。これが高根島のことであれば「かうね」と読むことが出来、発音としては「こうね」であるという頃は容易に推察できる。尚、島内の小字に「宇根」(宇祢・ウネ)がある。また、[[天保]]年間の[[天保国図|天保国絵図]]安芸国<ref>{{Cite web|title=安芸国|url=https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0303000000_6/0000000299/00|website=国立公文書館 デジタルアーカイブ|accessdate=2019-09-28|first=独立行政法人国立公文書館 {{!}} NATIONAL ARCHIVES OF|last=JAPAN}}</ref>では高根島(髙根嶋)として集落は「かう祢」となっている。
市町村制施行までは近隣の瀬戸田町・沢村・鹿田原村・中野村・福田村などとは異なり村名は無く、「高根島」であった。
 
=== 七軒竈 ===
伝承に七軒竈というものがあり、高根島に最初に居住したのはこの7軒とされる。天福寺(島内の口碑では天福寺という廃寺があったとされるが、芸藩通誌の地図には寺院遺構を示す「跡」という字はなく小字のみが載っている)・寺屋敷(束石が遺構として残る)、真観寺という小字付近に7軒のほとんどが住んでいたとされる。実際には[[江戸期]]はこの小字付近に数カ所加えた地区で居住していた。(現在は農地や別の一族の住居となっており比定が困難)。
 
=== 近世後期 ===