「労働法」の版間の差分

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日本において、労働関係の代表的な法律として、[[労働基準法]]・[[労働組合法]]・[[労働関係調整法]]があり、これらを'''労働三法'''(ろうどうさんぽう)と呼ぶ。また、増加する個別[[労働紛争]]への法律による対応として、[[2008年]](平成20年)[[3月1日]]に[[労働契約法]]が施行された。
 
[[日本]]において「労働法」は、法律の名称ではなく、[[労働事件]]の[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]裁判例等における法律判断を含めた法体系を指す、主として講学上の用語である。
 
日本で「労働」という語が用いられるようになったのは早い。[[1920年]]([[大正]]9年)には既に東京帝国大学(現・[[東京大学]])で[[末弘厳太郎]]による「労働法制」という講義が行われていた。[[1924年]](大正13年)に「労働法」という名称での[[講義]]を[[日本の高等教育]]機関で初めて行ったのは、[[東京商科大学]](現・[[一橋大学]])の[[孫田秀春]]であり、労働事務次官を務めた[[富樫総一]]なども孫田の[[ゼミナール]]で学んだ。しかし、労働法は[[労働運動]]に関するものであると政府当局に危険視されたことや、履修した学生が警戒され[[企業]]から採用されなくなったことから、この東京商科大学の労働法講義は名称を変更させられることになった。
 
日本では、[[1911年]]([[明治]]44年)に[[工場法 (日本)|工場法]]が制定されたが、内容的には低水準のものであった。日本の労働法の本格的な形成は、[[第二次世界大戦]]後に始まり、[[1945年]]([[昭和]]20年)に(旧)労働組合法、次いで[[1946年]](昭和21年)には労働関係調整法、そして[[1947年]](昭和22年)に労働基準法・職業安定法・失業保険法が制定され、独自の法分野として確立されるに至った。<ref name="roudouhou">『労働法 第4版』朝倉むつ子・島田陽一・盛誠吾 著、有斐閣、2011年</ref>その後は、主として[[日本の裁判所|裁判所]]の[[判例]]法理等を取り込んで、労働法の体系を整備していった<ref>ダニエル・H・フット『裁判と社会―司法の「常識」再考』溜箭将之訳 NTT出版 2006年10月</ref>(例えば、[[解雇#解雇の制限|解雇権濫用法理]]など)。