「マリー・ルイーズ・エリザベート・ドルレアン」の版間の差分

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死地など補正補足
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| 出生日 = {{生年月日と年齢|1695|8|20|no}}
| 生地 = [[ヴェルサイユ]]
| 死亡日 = {{死亡年月日と没年齢|1695|8|20|1719|7|2120}}
| 没地 = [[ラ・ミュエット城]] ([[:fr:Château de la Muette (Paris)|fr]])
| 没地 = [[リュクサンブール宮殿]]
| 埋葬日 =
| 埋葬地 =
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| サイン =
}}
'''マリー・ルイーズ・エリザベート・ドルレアン'''('''Marie Louise Elisabeth d'Orléans''', duchesse de Berry, [[1695年]][[8月20日]] - [[1719年]][[7月2120日]])は、[[フランス王国|フランス]]王族である[[ベリー公]][[シャルル・ド・ブルボン (ベリー公)|シャルル]]の妃。
 
== 生涯 ==
後年、幼君[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]摂政に就く[[オルレアン公]][[フィリップ2世 (オルレアン公)|フィリップ2世]]と妃[[フランソワーズ・マリー・ド・ブルボン]]の長女として、[[ヴェルサイユ]]で生まれた。
 
1710年7月、従兄であるベリー公シャルルと結婚した。しかし、最初の妊娠が[[流産]]となって二度と子供が産めなくなり、夫と不仲になってしまった。
 
マリー・ルイーズは父から与えられた[[ラ・ミュエット宮殿]](ラ・ミュエット城ないし宮殿、[[:fr:Château de la Muette (Paris)|Château de la Muette]], 現在の[[16区 (パリ)|パリ16区]])を居宅にし、また幾度も[[饗宴]]を開き、招待客のなかにはロシア皇帝[[ピョートル1世]]もいた<!--fr:Château de la Muette (Paris) 参照--> 。しかし時を経ずして1719年、同ラ・ミュエットで<!--たった一人で→近隣マドリッド城には父親らもおり、孤独死というわけではない。-->亡くなった。
1719年、マリー・ルイーズは[[リュクサンブール宮殿]]でたった一人で亡くなった。
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