「宮操子」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
RTT45 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
71行目:
|補足=
}}
'''宮 操子''' (みや みさこ、1907年 (明治40) 4月15日 - 2009年 (平成21) 5月7日) は、岩手県出身のダンサー。本名ミサオ。パートナーの[[江口隆哉]] (1900-1977) と共に[[ドイツ]]へ留学し、ドイツ表現主義舞踊「ノイエタンツ」創始者として知られる[[マリー・ヴィグマン]] (Mary Wigman、1886-1973) に師事、帰国後モダン・ダンスの先駆者として活躍した<ref>桑原和美「宮操子の半生と戦地慰問」 (就実論叢. 41号, 2011.2, pp61-81)。</ref><ref>[http://www.gendaibuyou.or.jp/about/history 日本における現代舞踊の歴史 | 一般社団法人現代舞踊協会] 2019.9.29閲覧</ref>
 
== 来歴 ==