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{{Infobox 作家|name=ジョン・クラカワー|image=Jon Krakauer speaking in 2009.jpg|birth_date={{生年月日と年齢|1954|04|12}}|birth_place=[[マサチューセッツ州]][[ブルックライン]]|occupation=[[ジャーナリスト]]、[[作家]]、[[登山家]]|nationality={{USA}}|alma_mater=ハンプシャー大学|period=[[1990年]] -|subject=アウトドア|website=http://www.jonkrakauer.com/}}
 
'''ジョン・クラカワー'''(Jon Krakauer, 1954年4月12日 - )は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ジャーナリスト]]、作家、[[登山家]]。[[アウトドア]]や[[登山]]に関する著作で知られる。全米ベストセラーとなった『荒野へ』、『空へ』、『信仰が人を殺すとき』、''Where Men Win Glory'' 等の[[ノンフィクション]]作品の他、多数の雑誌で執筆。[[1996年のエベレスト大量遭難]]事故の当事者の一人。<ref name=":0">{{Cite web|title=Jon Krakauer author biography|url=https://www.bookbrowse.com/biographies/index.cfm/author_number/123/jon-krakauer|website=BookBrowse.com|accessdate=2019-10-01|language=en|last=BookBrowse}}</ref><ref>{{Cite web|title=Into the Wild: Into the Wild Author Jon Krakauer Biography {{!}} Book Summary & Study Guide {{!}} CliffsNotes|url=https://www.cliffsnotes.com/literature/i/into-the-wild/jon-krakauer-biography|website=www.cliffsnotes.com|accessdate=2019-10-01}}</ref>
 
== 生い立ち ==
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1996年にはガイド付き[[エベレスト]]登頂を達成したが、下山中に嵐に見舞われ、クラカワーのチームでは(リーダーであったロブ・ホールを含む)4人が下山中に死亡した。この事故は[[1996年のエベレスト大量遭難]]として知られる。事故についての赤裸々な回想をアウトサイド誌に書き、後に著書『空へ』となった。
 
この1996年には計15名が死亡し、一年間の死者数としてエベレスト登山史上最悪の記録となったが、後に2014年の[[雪崩]]での16人、2015年の地震による雪崩での19人と記録は更新されている。
 
またこの事故の影響で長年、[[心的外傷後ストレス障害]](PTSD)に苦しんでおり、エベレスト登頂は人生最大の過ちだった、過去に戻れたら登頂しなかったろうと語っている<ref>{{Cite web|title=Jon Krakauer Says Climbing Mount Everest Was The 'Biggest Mistake' Of His Life|url=https://www.huffpost.com/entry/jon-krakauer-climbing-mt-everest-was-the-biggest-mistake-of-my-life_n_55ce124ce4b055a6dab0273c|website=HuffPost|date=2015-08-14|accessdate=2019-10-01|language=en|first=Ryan|last=Buxton}}</ref>。
 
== ジャーナリズム ==
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エベレスト登頂の商業化にそのものについては「他の山とかなり状況が異なる」としながら「そもそも裕福なイギリス人がアルプスの地元民を雇ってガイドさせたのスポーツとしての登山の始まりであり、ガイド付き登山は長い歴史がある。まして世界最高峰となれば、ガイドを付けることを悪くなど言えない。」と否定はしていない<ref>{{Cite web|title=A Year Later: Everest With John Krakauer|url=https://www.outsideonline.com/1915126/everest-year-later-false-summit|website=Outside Online|date=1997-05-01|accessdate=2019-10-01|language=en|first=Mark|last=Bryant}}</ref>。
 
=== 書籍 ===
 
==== エヴェレストより高い山 - 登山をめぐる12の話原題:''Eiger Dreams'') ====
1990年出版。登山や[[ロッククライミング]]の記事やエッセイをまとめたノンフィクション。内容は、スイス・アルプス山脈の[[アイガー北壁]]、アラスカ山脈の[[デナリ]]、カラコルム山脈の[[K2]]への登頂から、旅路で出会ったジョン・ギルなど有名なロッククライマーについてなど様々。
 
==== 荒野へ原題:''Into the Wild'') ====
1996年に出版され、[[ニューヨーク・タイムズのベストセラーリスト]]を2年飾ったノンフィクション。東海岸の裕福な家の出身の青年クリストファー・マッカンドレスが、1990年に[[エモリー大学]]を卒業後、銀行口座の全額(2万4千ドル)を人道支援団体[[オックスファム]]に寄付、自身を「アレクサンダー・スーパートランプ」と名乗ってアメリカ西部の旅に出た話を時系列交錯的に綴っている。マッカンドレスは1992年8月に[[アラスカ州]][[デナリ国立公園]]のWentitika湖の近くで餓死しているのを発見された。本書ではマッカンドレスの体験およびクラカワー自身の体験や、他の冒険談が並行して描かれる。2007年には[[ショーン・ペン]]監督による本書を原作にした映画『[[イントゥ・ザ・ワイルド]]』が公開された。
 
==== 空へ原題:''Into Thin Air'') ====
1997年出版。1996年のアウトサイド誌での記事をさらに掘り下げて書いた、クラカワーの最も有名な著書。登山隊での体験や、当時のエベレスト登頂に関する一般的状況が描かれている。クラカワーは雑誌の記者として雇われ、1996年、ロブ・ホール率いるエベレスト登頂隊に顧客として加わったが、[[1996年のエベレスト大量遭難|1996年エベレスト大量遭難事故]]という多数の死傷者を出す結果となった。
 
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『空へ』が出版された5ヶ月後、ブクレーエフ自身が事故についてG・ウェストン・デウォルトと共著で書いた『デス・ゾーン8848M』が出版されると、ブクレーエフの行動に関してベテラン登山家の間から異論が上がった。ゲイラン・ローウェルはアメリカン・アルペン・ジャーナルでの同書の書評において、ブクレーエフの隊は全員生還し、死傷者が出たのはクラカワーらの隊からだったと指摘した他<ref>{{Cite web|title=The Climb: Tragic Ambitions on Everest - AAC Publications - Search The American Alpine Journal and Accidents|url=http://publications.americanalpineclub.org/articles/12199836400/The-Climb-Tragic-Ambitions-on-Everest|website=publications.americanalpineclub.org|accessdate=2019-10-03}}</ref>、[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]の記事でも、クラカワーの描写の矛盾点を挙げ、ブクレーエフの英雄的救助活動に落ち度はなかったとブクレーエフを擁護した<ref>{{Cite news|title=Climbing to Disaster|url=https://www.wsj.com/articles/SB864852385619851000|work=Wall Street Journal|date=1997-05-29|accessdate=2019-10-03|issn=0099-9660|language=en-US|first=Galen|last=Rowell}}</ref>。
 
『空へ』と『デス・ゾーン8848M』の出版以降、デウォルト、ブクレーエフとクラカワーは、クラカワーによるブクレーエフの描写に関して反目することとなった。1997年11月に両者は反目状態を解いたが、ブクレーエフはそのわずか数週間後、ヒマラヤ山脈・[[アンナプルナ]]を登山中に[[雪崩]]で命を落とした<ref>Author's postscript, 1999 edition of ''Into Thin Air''.</ref>。
 
==== 信仰が人を殺すとき原題:''Under the Banner of Heaven'') ====
2003年出版。3作目のノンフィクション・ベストセラーで、過激派宗教団体、特に[[モルモン教]][[原理主義]]について調査したものである。クラカワーはこれら過激派の[[一夫多妻制]]に着目し、モルモン教の歴史を通した文脈の中で精査している。内容の多くは原理主義信仰の名のもとに殺人を犯した、ラファティ兄弟に関するもの。
 
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これに対しクラカワーは「本当の悲劇は、教会の指導者や教師や作家たちが信徒に対し、モルモン教の過去の問題について、自分たちの知っている真実を語ることなく、代わりに決り文句や半面の真実、省略、[[もっともらしい否認]]の入り混じったものを語ってきたことだ。」という1993年に破門された歴史家D・マイケル・クインの言葉を引用し、「図らずもクイン博士と同意見だ。」と再反論した<ref>{{Cite web|url=http://www.randomhouse.com/features/krakauer/response.html|title=A Response from the Author|accessdate=2006-05-31|publisher=|date=2003-06-03|deadlinkdate=2019-10-04}}</ref>。
 
==== ''Where Men Win Glory'' ====
2009年出版。当時[[NFL]]の現役プロ[[アメリカンフットボール|アメフト]]選手で、[[第75レンジャー連隊 (アメリカ軍)|アメリカ陸軍レンジャー部隊]]に入隊した[[パット・ティルマン]]を彼の日記と手紙をもとに描いた伝記。ティルマンは[[アフガニスタン]]で戦死して英雄に祭り上げられたものの、死亡原因が友軍の誤射だったことを陸軍が隠蔽した疑いで論争が巻き起こった。ティルマンの日記と手紙の他、妻や友人へのインタビュー、同僚だった兵士との会話、クラカワーによるアフガニスタンでの調査などが基になっている。また、[[アフガニスタン紛争]]について一般的な歴史を伝える、歴史物語的な部分もある。
 
デクスター・フィルキンスによる[[ニューヨーク・タイムズ]]の書評は「ティルマンの生涯について、陳腐で些末な出来事の描写が多すぎる」としながらも、死に関して「既に報道されたものがほとんどだが、それらを一つにまとめあげたこと、特に隠蔽に関してクラカワーが行った仕事は貴重だ。その詳細は5年が経過した今読んでもぞっとするほど嫌悪感を抱く。」と評した<ref>{{Cite news|title=Book Review {{!}} 'Where Men Win Glory: The Odyssey of Pat Tillman,' by Jon Krakauer|url=https://www.nytimes.com/2009/09/13/books/review/Filkins-t.html|work=The New York Times|date=2009-09-08|accessdate=2015-03-22|issn=0362-4331|language=en-US|first=Dexter|last=Filkins}}</ref>。ダン・ニールによる[[ロサンゼルス・タイムズ]]の書評は「見事なレポートの一例」「ティルマンの死にまつわる事件の決定版」と評した<ref>{{Cite web|title='Where Men Win Glory: The Odyssey of Pat Tillman' by Jon Krakauer|url=https://www.latimes.com/world/afghanistan-pakistan/la-et-book11-2009sep11-story.html|website=Los Angeles Times|date=2009-09-11|accessdate=2019-04-16|language=en-US|publisher=}}</ref>。
 
==== ''Three Cups of Deceit'' ====
2011年出版の電子書籍で、[[パキスタン]]とアフガニスタンに学校を設立する[[人道援助|人道支援]]を行っているグレッグ・モーテンソンおよびその[[NPO]]法人「セントラル・アジア・インスティチュート」の不正管理と会計詐欺を糾弾したもの。
 
==== ミズーラ - 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度 原題:''Missoula)'' ====
2015年出版。[[モンタナ州]][[ミズーラ (モンタナ州)|ミズーラ]]で発生した複数の[[強姦|レイプ]]事件を例に、レイプ事件が大学と[[刑法|刑事司法]]制度にどのように扱われるかを探った作品。事例の多くは[[モンタナ大学]]に関連したもの。クラカワーは、なぜ多くの被害者が被害を警察に訴えたがらないのか明らかにしようとし、また「[[疑わしきは罰せず]]」によって被害者より犯人側に有利となっている法制度を批判した。クラカワーが、自身の女性の友人にレイプ被害を打ち明けたられたことが本書を書くきっかけとなったという<ref name=":5">{{Cite news|title=Jon Krakauer’s ‘Missoula,’ About Rape in a College Town|url=https://www.nytimes.com/2015/05/03/books/review/jon-krakauers-missoula-about-rape-in-a-college-town.html|work=The New York Times|date=2015-04-28|accessdate=2019-10-03|issn=0362-4331|language=en-US|first=Emily|last=Bazelon}}</ref>。
 
エミリー・バゼロンによるニューヨーク・タイムズの書評は「警察や司法とは別に、政府から義務によって大学が行っている独自調査のその公平性に関して、クラカワーは深く掘り下げることはなく、ただ『大学は速やかに犯人学生を確認し、再犯を防止させ、同時に被告としての権利も守る手続きを踏むべき』とありきたりな机上の空論に収まっている。」と大学側の対応の難しさや性犯罪防止策の取り組みに対する調査や理解がないことを批判し、微妙な評価を下した<ref name=":5" />。
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2012年4月、モンタナ州司法長官事務局が、CAIとグレッグ・モーテンソンに財務上の「過失」があったと発表し、モーテンソンがCAIに百万ドルを返還することで合意した<ref>{{Cite web|url=https://doj.mt.gov/wp-content/uploads/2012_0405_FINAL-REPORT-FOR-DISTRIBUTION.pdf|title=Montana Attorney General's Investigative Report of Greg Mortenson and Central Asia Institute|accessdate=2019-10-04|publisher=Doj.mt.gov|date=2012-04-05|quote=We entered into a settlement agreement with Mortenson and CAI which guarantees in excess of $1&nbsp;million in restitution from Mortenson for his past financial transgressions}}</ref>。
 
2013年5月、サンフランシスコ第9巡回控訴裁判所が、モーテンソンに対する集団民事訴訟の上告を棄却したとロサンゼルス・タイムズが報じた。この集団訴訟はクラカワーの電子 ''Three Cups of Deceit と「''60 Minutes''」の放送の数日後に起こされ、モーテンソンの本 『スリー・カップス・オブ・ティー』の読者がモーテンソンと''CAI、''さらに出版社[[ペンギン・ブックス]]に対して損害賠償を求めたものだったが、一審は読者が金銭補償を受ける権利はないとして原告の訴えを退けていた。<ref name=":6">{{Cite web|title=Fraud suit against Greg Mortenson's '3 Cups of Tea' rejected|url=https://www.latimes.com/books/la-xpm-2013-oct-11-la-et-jc-fraud-suit-against-greg-mortenson-3-cups-of-tea-rejected-20131010-story.html|website=Los Angeles Times|date=2013-10-11|accessdate=2019-10-03|language=en-US}}</ref>''
 
2013年10月、Central Asia Institute のセントラル・アジア・インスティチュート代表スティーブ・バレットは、CAIとモーテンソンは[[スティーブ・ブロック]]司法長官(当時)と合意した返還に従ったと発表した。<ref>{{Cite web|url=http://www.ikat.org/2013/10/09/october-09-2013-federal-appeals-court-affirms-dismissal-of-case-against-cai-and-mortenson/|title=October 9, 2013: Federal appeals court affirms dismissal of case against CAI and Mortenson|accessdate=2019-10-04|publisher=Ikat.org|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141223200546/http://www.ikat.org/2013/10/09/october-09-2013-federal-appeals-court-affirms-dismissal-of-case-against-cai-and-mortenson/|archivedate=2014-12-23}}</ref>
 
2016年、ジャーナリストのジェニファー・ジョーダンとジェフ・ローズは、モーテンソンに対する訴え批判を取材し、ドキュメンタリー映画「3000 Cups of Tea''」''を制作した。映画およびインタビューにおいてジョーダンは、「60 Minutes」とクラカワーが行った告発は、大部分が正しくなかったと主張している。ジョーダンは2014年「このストーリーをまだ調査中です。これまでに判明した点が示しているのは、疑惑の大半は、モーテンソンが、考えうる限り最悪の人物に見える方向に誤って受け取られたものか、あるいは完全なるデマだということです。確かに、グレッグがダメなマネージャー、ダメな会計士であるのは彼自身認めるところです。しかし、非常に重要な使命を背負った、疲れ知らずの人道支援家でもあるのです。」と述べた。<ref>{{Cite web|title=3000 Cups of Tea, A film by Jennifer Jordan & Jeff Rhoads|url=http://www.3000cupsoftea.org/|website=www.3000cupsoftea.org|accessdate=2019-10-03|language=en}}</ref><ref>{{Cite web|title=Greg Mortenson's Saga Not Over Yet: ExWeb Interview with "3000 Cups of Tea" Producers|url=https://www.explorersweb.com/everest_k2/news.php?url=3000-cups-of-tea_1396643715|website=www.explorersweb.com|accessdate=2019-10-03}}</ref>
 
== 脚注 ==