「オリンピック聖火」の版間の差分

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Basocyor (会話 | 投稿記録)
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=== 1964年の東京オリンピックの聖火台 ===
[[1964年東京オリンピック]]では、その前哨戦となる[[アジア競技大会]](1958年)に間に合わせるために聖火台の製作を[[鋳物]]づくりの名工とうたわれた[[鈴木萬之助]]が請け負ったが湯入れ作業で爆発事故が起き、このショックと過労で8日後に萬之助は亡くなった<ref>田村崇仁「[http://www.47news.jp/topics/sportscolumn/2009/11/post_140.php 聖火台磨き、遺産を継承 五輪招致で心温まる物語]」『スポーツリレーコラム』47NEWS、2009年11月4日</ref><ref>高樹ミナ「[http://www.japantopleague.jp/column/excellence/excellence_0044.html 職人の技と心を受け継ぐ聖火台<前編>]」『スポーツのエクセレンス』第44話、日本トップリーグ連携機構</ref>。しかし萬之助の息子にあたる[[鈴木文吾]]が不眠不休で第二の聖火台を製作して一ヶ月の作業の後、何とかアジア競技大会に間に合わせた<ref>高樹ミナ「[http://www.japantopleague.jp/column/excellence/excellence_0045.html 職人の技と心を受け継ぐ聖火台<後編>]」『スポーツのエクセレンス』第45話、日本トップリーグ連携機構</ref>。文吾は、もし自分まで失敗したら腹を切って死ぬつもりだったという。
 
聖火台は高さ2.1m、最大直径も2.1mで重さは約4トン<ref name="sponichi20191007" />。
 
この聖火台は文吾の手により製作者名として父・萬之助の名が彫り込まれ、[[国立霞ヶ丘陸上競技場|国立競技場]]が解体されるまで置かれており2015年に[[宮城県]][[石巻市]]に一時貸与され、新国立競技場建て替えの間、石巻市総合運動公園に設置されることとなった<ref>[http://www.sankei.com/life/news/150618/lif1506180016-n1.html 五輪の聖火台、被災地に 地元「復興のシンボルになる」 宮城・石巻] 産経新聞 2015年6月18日閲覧</ref>。また、萬之助の聖火台も修繕を経て作業場のあった[[川口市]]に置かれている。