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=== ローマ以前-ローマ期 ===
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[[ギリシャ|ギリシア]]時代から[[都市国家]]が成立。なお、[[伝説]]では[[紀元前753年]]にローマ建国 [[エトルリア人]]も12の都市国家による都市連合の王政を築いていた。[[伝承]]によれば、[[紀元前509年]]にローマ人[[パトリキ]](貴族)が[[エトルリア]]人の王を追放し共和制を開始した。[[サムニウム戦争]]([[紀元前343年]] - [[紀元前290年]])などにより[[紀元前272年]]にイタリア半島を制圧。[[フェニキア]]人の植民国家[[カルタゴ]]との戦争([[ポエニ戦争]])([[紀元前264年]] - [[紀元前146年]])によりシチリア島を獲得。地中海の覇権を握る。その後もイタリアは[[ローマ帝国]]の中心地域として栄えたが、[[286年]]に[[ディオクレティアヌス]]が帝国の統治機構及び皇帝位を東西に[[テトラルキア|分割]]すると<ref group=注釈>二つの国に分裂したという意味ではなく、一つの国の東西を二つの政府・皇帝で分権したという程度に過ぎない。</ref>、イタリアは西の皇帝権([[西ローマ帝国|西方正帝]])の管轄となった。[[5世紀]]末に西方正帝が廃止されるとローマ皇帝[[ゼノン (東ローマ皇帝)|ゼノン]]によって[[オドアケル]]がローマ帝国のイタリア領主(dux Italiae)に任命され、これが国号としてのイタリアの走りとなったらしい
[[File:RomanEmpire 117 it.svg|thumb|紀元117年の帝国最大版図 (茶・緑)]]
 
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=== イタリア共和国 ===
王位惜しさにムッソリーニの独裁を後押ししたかたちのサヴォイア王家は国民の信頼を失いつつあった。伝統的に王国時代が長い[[南イタリア]]では王室への強固な支持があったものの、都市国家の伝統ある北部は王家を信任せず、また王室の強い支持基盤であったカトリック教会が国民投票で中立を宣言したこともあり、大戦終結後の1946年6月2日に行なわれた[[1946年王政廃止に関するイタリアの国民投票|共和制への移行を問う国民投票]]では賛成54%の僅差で王政廃止が決定され[[ウンベルト2世]]は廃位、[[サヴォイア家]]による[[君主制]]は廃止され、現在の[[イタリア共和国]]が成立した。[[1948年]]に、初代[[大統領]]に[[エンリコ・デ・ニコラ]]が就任。その後の[[冷戦]]では、[[社会主義]]勢力の影響を受けながらも、[[アメリカ合衆国]]や[[西ドイツ]]などとともに[[西側諸国]]の1国として[[東側諸国]]と対峙した。[[主要国首脳会議]]の参加国であり、現在も政治や経済だけでなく、文化的な側面においても世界的に重要な位置を占めるらしい
 
== 政治 ==