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== 歴史 ==
[[江戸時代]]、[[毛利氏]]のいわゆる「[[三白政策]]」により、富田・徳山(以上現在の周南市)・下松の各地域に[[米]]・[[塩]]・[[紙]]を主に取り扱う商港が整備されたのが始まり。[[1904年]](明治37年)、徳山に[[大日本帝国海軍|海軍]]煉炭製造所(後の海軍燃料廠)が設けられたのをきっかけに、大正時代には日本曹達工業(現[[トクヤマ]]徳山製造所)、日本汽船笠戸造船所(現[[日立製作所]]笠戸工場)等多くの企業が進出する。これを受けて[[1922年]](大正11年)、'''徳山港'''が開港、特別輸出入港に指定される。
 
戦後、[[1948年]](昭和23年)に'''下松港'''を編入、'''徳山下松港'''となる。海軍燃料廠は無くなったものの、跡地に[[1957年]](昭和32年)[[出光興産]]が進出。徳山精油所を整備し、石油化学コンビナートの礎を築く。これと相前後して、戦後復興による好景気も手伝って徳山下松港の利用も増加。[[1951年]](昭和26年)に[[重要港湾]]への指定、[[1965年]](昭和40年)に特定重要港湾に指定された。以後、徳山地区(旧[[徳山市]]域)、新南陽地区(旧[[新南陽市]]域)を中心に整備事業が行われている。