「永劫回帰」の版間の差分

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永遠回帰または同一のもののじ事永遠回帰(Ewige(Ewige Wiederkunft des Gleichen)Gleichen)は、ニーチェ哲学で見られることができる根本的な思想で「同一なものがあるそのまま永遠に繰り返されるが、の実像だ状である」という思想である。 この時、同じものいう力への意志、違い、循環の遊戯のような実在で繰り返されるその何を意味するものではない。 なぜなら、戦争や殺戮のあるいくつかの瞬間と、この瞬間が返ってきたことにより、実は同じだということでものになってしまうからである したがって実在に戻で返ってくることはなく、永遠回帰は単に思想に過ぎないものである そして、この思想の同一だというこじものとはやむを得ず必然的に、最も深淵的にこの瞬間を意味する。 同じことを、この瞬間に向き合う直面することにこの思想は、史上固有の意味がある。 この瞬間はこのように大事で貴重な重要であるといことだ 原型で円形に繰り返される生成のすべての瞬間は中心点なるため、現在のこの瞬間も永遠的な意味をつことができるようになる。 ここでニーチェの永遠は実在で永遠に繰り返されしていということではなく、永遠に繰り返したいという心の中の一つの経験である。 つまり、今ここ現実のこの活の中で永遠の肯定が可能であるといことだ 言い換えればつまり、この瞬間に続いつながったすべてのことは、微細ホコリ粉塵一つも違っては異なり線ならず、(生成の無垢)従)したがってあらゆる苦痛さえありもそのまま肯定されなければならないということだるべきものである 同じことがこの瞬間を意味する限り、少しでも変わってはこの瞬間が起こら生じていないはずだからので 永遠回帰は「到達可能な最高の肯定形式」でありとして、同一のものじこと大変この瞬間を意味し、この肯定形式はまさすぐに運命愛(Amor子(Amor Fati)にFati)となる。
 
== 概要 ==