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Kyosyo (会話 | 投稿記録)
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: 字 寺本にある、[[曹洞宗]](本尊 : 阿弥陀如来)の寺院。[[永和 (日本)|永和]]年間の経典<ref group="注">[[備後国]]三原 金剛院 源恵 願主 県重文「紙本墨書大般若経」 : [[世羅郡]][[世羅町]]永寿寺蔵。</ref>には、「香根島長善寺」として残る<ref>http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-202050390.html 広島県の文化財 - 紙本墨書大般若経(世羅郡世羅町)</ref>。[[ファイル:瀧山からのパノラマ.jpg|代替文=四国石鎚山を望む|サムネイル|768x768ピクセル|瀧山観音堂裏の大岩上方にある石鎚山・大峯山より四国石鎚山方面を望む。多々羅大橋の向こうにうっすらと見えるのが石鎚山。]]<br />
; 瀧山観音堂
: 高根山南腹・字 瀧山にある、背後に大岩を背負う形に建っている。本尊は[[十一面観音|十一面観音菩薩]](秘仏)で33年に一度開帳される<ref group="注">昭和51年(1976年)の開帳には、長全寺本堂に本尊宮殿を降ろし出開帳が行われた。また、平成6年(1994年)の堂宇再建事業落慶法要には特別開帳が行われた。</ref>。創建年代不詳、言い伝えに漁師の網にかかった石の観音像を祀ったといい、普段は[[白衣観音]]の影をした天然石が祀られている<ref name=":1">{{Cite book|title=生口の歴史|date=|year=|publisher=瀬戸田町郷土史研究会}}</ref>。近在に広く信仰を集めたと見え、石塚に鹿田原・福田などいづれも瀬戸田町内集落の名が見える<ref name=":1" />。島内(西国)観音30番。島内八十八ヵ所88番。 古くは、旧暦3月18日に春季法要が行われ、その日は境内に出店が立ち賑わっていたという<ref name=":1" />。[[1994年]]([[平成]]6年)より新暦4月の第二日曜日に春季法要が行われるようになった<ref name=":1" />。
: 背後の大岩に沿って西国三十三観音の石仏が20体ほど見える。(実際には33体以上あるものと推察されるが、岩の中段以上の確認が出来ない<ref name=":1" />。)前述の島内観音30番宮殿の勧進の記載から、長全寺堅巌和尚、[[光福寺]](瀬戸田町荻、曹洞宗)天信和尚と所縁があると推察されている<ref name=":1" />。
: また、[[1876年]](明治9年)の日付のある薬師三尊像の石彫仏があり、長全寺十一世の銘がある<ref name=":2">現地にて確認</ref>。 [[1942年]](昭和17年)には長全寺の礼拝所として申告されている。