「カテゴリー錯誤」の版間の差分

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'''カテゴリー錯誤'''(category mistake, category error)とは、対象に固有の[[属性]]をその属性をどうあっても持つことのできないものに帰すという、[[意味論]]的あるいは[[存在論]]的な誤りである。
 
==哲学==
あらゆる(陳述の)誤りは、固有の属性をなんらかの意味で誤って[[帰属]]させる(ある事柄をそれが属していない[[クラス]]に分類する)ことを含んでいるから、ある意味で、すべての誤りはカテゴリー錯誤であると言える。しかし、哲学でよく用いられる意味でのカテゴリー錯誤は、最も厳密な形態の帰属の誤り、すなわち'''論理的に不可能なものを是認すること'''であると思われる。例えば、「その本のビジネスは永遠に眠る」という陳述は[[統語論]]的に正しいが、無意味な戯言であり、せいぜい何かの[[比喩]]と見ることができるに過ぎない。なぜならこの陳述は、「永遠に眠る」という属性を「ビジネス」に誤って帰属させているからであり、「ビジネス」という属性を「本」という[[トークン]]に誤って帰属させているからである。
 
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カテゴリー錯誤という用語は、[[ギルバート・ライル]]が著書『[[心の概念]]』(1949年)で導入したもので、[[ルネ・デカルト|デカルト主義]]的な[[形而上学]]によって生まれた[[心]]の本質についての混乱であるものを取り除くために用いられた。ライルの主張によれば、心とは霊的な実体から作られた対象であるとみなすのは誤りである。なぜなら、傾向性や能力の集合を指すためには、実体という術語では意味がないからである。ライルのカテゴリー錯誤という[[概念]]を用いる哲学者は多いが、どれがカテゴリー錯誤でどれがカテゴリー錯誤でないかという点についてはまちまちで、固定した見解はない。
 
==文学==
[[小説]]において、新人賞の応募作が編集部の想定するカテゴリからズレている作品に対し「'''カテゴリー・エラー'''」という表現が使われている<ref name=ga_013825>[https://ga.sbcr.jp/bunko_blog/k/013825/ なぜなにGA文庫・-カテゴリーエラー-の巻] – GA文庫ブログ</ref><ref name=kakuyomu_01>[https://kakuyomu.jp/info/entry/tsubasabunko_interview 「求められるのはエンターテインメント」──角川つばさ文庫編集長に聞く、児童向け作品の世界] - [[カクヨム]]</ref>。
 
この場合のカテゴリは[[ライトノベル]]であれば「[[学園小説|学園もの]]」「主人公が中高生」、小学生向けの小説では「平易な言葉」「短いページ数」「おもしろく飽きない話」などレーベルやジャンルの編集方針という意味合いである<ref name=kakuyomu_01 /><ref name=ga_013825 />。
 
[[わかつきひかる]]は「[[純文学]]の募集に[[ケータイ小説]]を投稿してもダメですし、ライトノベルに[[ボーイズラブ]]を投稿しても無理ですよ。」と書いているが出版社やレーベルによって対応が異なり、[[GA文庫]]では審査に影響しないと明言し<ref name=ga_013825 />、[[角川つばさ文庫]]では単に「簡単なほのぼのしたお話」ではカテゴリー・エラーであるとしている<ref name=kakuyomu_01 />。
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
 
== 関連項目 ==