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'''サティヤーグラハ'''({{IPAc-en|ˌ|s|æ|t|ɪ|ə|ˈ|ɡ|r|ɑː|h|ɑː}}; {{Lang-sa|सत्याग्रह}} ''satyāgraha'')は{{仮リンク|非暴力抵抗運動|en|nonviolent resistance}}、あるいは{{仮リンク|市民的抵抗|en|civil resistance}}のひとつの形であり[[思想]]である。「サティヤーグラハ」は[[マハトマ・ガスクリット語ディー]](1869年 - 1948年)によってつくられた言葉あり、〈いかなる外圧にあっても、真理に対する内なる信念意味し、アーグラハ堅持は「主張・要求」を意味し続けようとする。サンスクリット自己の不動精神状態からグラハ自発的(svatantr)あるい日本語で把握内発的(svabhāvik)に発生した社会的・政治的な保持主張意味になので、多くの参考文献で「真理の把握」「真理の保持」と訳されてい〉<ref name="間 p92">{{Cite book|author=間 永次郎|title=公私を架橋すが、正しくは「真理身体主張」「真理の要求」となる。サポリティヤ(सत्य)とアクス―ガグラハの(आग्रह)組み合わせでサテンデのブフマチャリヤ発音実験なる。「ティヤーグラハ」は[[マハトマ・ガンディー]](1869年 - 1948年)によってつくられた言葉であり、闘争の誕生―|url=https://ci.nii.ac.jp/naid/130007502527|year=2017|page=92}}</ref>。その思想は彼のもとで発展した<ref name="Majmudar p38">{{Cite book|author=Uma Majmudar|title=Gandhi's pilgrimage of faith: from darkness to light|url=https://books.google.com/books?id=xM4paHEq5oQC&pg=PA138|year=2005|publisher=SUNY Press|page=138|isbn=9780791464052}}</ref>。彼はサティヤーグラハを[[南アフリカ共和国]]でのインド人の権利のための闘争の中で、そして{{仮リンク|インド独立運動|en|Indian independence movement}}の中で展開した。その後この思想は1954年から1968年にかけて[[アメリカ]]で盛り上がった[[アフリカ系アメリカ人公民権運動]]にて、[[マーティン・ルーサー・キング・ジュニア]]や{{仮リンク|ジェイムズ・ベベル|en|James Bevel}}の活動にも影響を与え、さらにはその他多く大衆運動に影響を与えた<ref>http://www.britannica.com/EBchecked/topic/525247/satyagraha "Gandhi’s satyagraha became a major tool in the Indian struggle against British imperialism and has since been adopted by protest groups in other countries." Date accessed: 14 September 2010.</ref><ref>http://www.questia.com/PM.qst?a=o&d=9165422 "In this respect Satyagraha or non-violent resistance, as conceived by Gandhiji, has an important lesson for pacifists and war-resisters of the West. Western pacifists have so far proved ineffective because they have thought that war can be resisted by mere propaganda, conscientious objection, and organization for settling disputes." Date accessed: 14 September 2010.</ref>。サティヤーグラハを実践するものは「サティヤーグラヒ」と呼ばれる。
 
== サティヤーグラハという語の由来 ==
[[ファイル:Marche sel.jpg|thumb|250px|ガンジーの主導する[[塩の行進]](1930年)。サティヤーグラハの一例となった。]]
「サティヤーグラハ」という語の創造は、1906年に[[南アフリカ]]の簡易新聞、{{仮リンク|インディアン・オピニオン|en|Indian Opinion}}の行ったコンペティションに端を発する<ref name="Majmudar p38" />。このコンペティションでは「サダグラハ」という語を思いついたマガンラル・ガンディー(マハートマー・ガーンディーの叔父の孫)が入賞を果たしている。それを受けてマハートマー・ガーンディーは「サダグラハ」をより明確にするために手を加え「サティヤーグラハ」と変更した。
サティヤーグラハは真理」を意味する[[サンスクリット語]]「[[諦|サティヤ]](satya)」と「主張・要求」を意味する「アーグラハ(āgrah(a))の{{仮リンク|タトプルシャ|en|tatpuruṣa}}(というサンスクリット語・グジャラーティー語の[[複合語]])であ概念から成っている。前者の「サティヤ」と「存在する」を意味する、ガーンディー曰く、サンスクリット語の「サット(sat;存在、真実在)」を源に持つ。すなわサティヤという語は「真理の他には何も存在しないというニュアンス含んでい意味す。サティヤ〉〈後者の「アーグラハの文脈で語られる」は、一般的に真理主張や「懇願」を意味するが、ガーンディー自身は、この語の意味「堅持/固執していくことに対する「真理(vaḷgīrahevuṃ)であり、存在と説明た。これはガーンディー(ア・サッティヤーグラハにおいて、「ア」は否定真理[[接頭辞]])に対する「現実堅持であり、悪に対する「善」である。「という内面世界に向けた決定的観点(niścaynay)と、「真理の岩の上主張」という外面世界向けわっ実践的観点(vyavahārnay)とが表裏を成していたことを示している。『ア・サティヤー』は『虚偽』〉<ref name="間 p91">{{Cite book|author=間 永次郎|title=公私意味架橋すると同時に『不在』を意味し、一方身体ポリティクス―ガーンディーのブラフマチャリヤの実験とティヤーは『存在』を意味する。もしアグラハ闘争の誕生―|url=https://ci.nii.ac.jp/naid/130007502527|year=2017|page=91}} 「ティヤー(虚偽)が存在さえしないというのならば、勝利」表記疑うべくもない。サティヤー」に合わせた。原典を精査した間説はチベット学者がbden pa’i u tshugs(真理の堅持、頑固が存在同義であるのならばそれを破壊する訳し、Truth-Insistence と英訳したことはかなわない<ref>Nagler,にも合致する。{{Cite Michaelbook|author=辻村 N.優英|title=カルマの倫理性 The- Nonviolenceサムドン・リンポチェのサティヤーグラハ Handbook―|url=https: A Guide for Practical Action//ci. Printnii.ac.jp/naid/120003437146|year=2006|page=21}} </ref>」。これが非暴力に対するガンジーの理解であり信仰の本質であった。ガンジーの言う「サティヤーグラハ」は単純な「受動的抵抗」(passive resistance)という言葉では表現しきれない、それ以上の意味を持っており、非暴力抵抗運動を実践するうえでの力となった<ref>{{Cite book |last=Gross|first=David M.|year=2014|title=99 Tactics of Successful Tax Resistance Campaigns|publisher=Picket Line Press|isbn=978-1490572741|pages=15–17}}</ref>。ガーンディー曰く、{{Quote|「真理」(サティヤ)という言葉は愛(非暴力)を暗示しており、そして「真理」はの]堅持・主張(アーグラハ)を生み出す。したがって「真理」は「力」の類義語としての機能を持つ。こういう理由から私はインドの独立運動をサティヤーグラハと呼ぶようになった。サティヤーグラハには真実(正義)と愛から生まれる力、または非暴力から生まれる力という意味が込められており、わたしはインドの独立運動という文脈の中で受動的抵抗(passive resistance)という言葉を使うことをやめた。英語での文章からさえしばしば我々は「パッシブ・レジスタンス」という語の使用を避け、「サティヤーグラハ」かあるいはそれに近い英語のフレーズを用いた<ref>M.K. Gandhi, ''Satyagraha in South Africa'', Navajivan, Ahmedabad, 1111, pp. 109–10.</ref>。}}
 
ガンジーは1935年9月に{{仮リンク|サーバンツ・オブ・インディア・ソサイエティ|en|Servants of India Society}}のP.K.ラオ(P.K. Rao)に宛てた手紙の中で、ガーンディーの「[[市民的不服従]]」というアイデアは[[ヘンリー・デイヴィッド・ソロー]]の著作から取り入れたものではないかという指摘について反論している。{{Quote|私が市民的不服従のアイデアをソローの著作から取り入れたという指摘は間違いだ。南アフリカで私が行った抵抗運動は、私が市民的不服従に関するソローのエッセイを手に入れるよりずっと以前の出来事なのだから。しかしその後私の活動は「受動的抵抗」として知られるようになった。この表現は必ずしも正しくないので、私はグジャラティ(Gujarati)<!--雑誌?グジャラティ話者?-->の読者のために「サティヤーグラハ」という言葉を作り出した。しかし私は「市民的不服従」(civil disobedience)という言葉でさえ、インド独立闘争の意味を完全に伝えきれていないことに気が付いた。こういった理由からわたしは「市民抵抗」(civil resistance)という言葉を採用した。そして「非暴力」はいつでも我々の闘争の不可欠な要素であり続けた<ref>[[マハトマ・ガンディー]], letter to P. Kodanda Rao, 10 September 1935; in ''Collected Works of Mahatma Gandhi'', electronic edition, vol. 67, p. 400.[http://www.gandhiserve.org/cwmg/VOL067.PDF]</ref>。}}