「ヴァンダル王国」の版間の差分

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→‎ゲイセリック以後: 誤字訂正 ゲンセリック→ゲイセリック
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ゲイセリックが死去するとその息子{{仮リンク|フネリック|en|Huneric}}([[477年]]-[[484年]])が50代を過ぎてようやく王となった。フネリックの治世には、[[マニ教]]や[[ミトラ教]]、そしてローマ系住民の大多数が信奉する[[カトリック教会]]への過酷な迫害があったことで有名である。マニ教やミトラ教は少数派の宗教だったため、目立った反対はなかったが、カトリック教会への迫害は毒にも薬にもなるリスクの高い政策だった。カトリック教会は富裕層の宗教で課税すれば優良な財源になるが、過酷な迫害を加えれば国王への支持を弱めるばかりか、東ローマ帝国との対外関係も悪化させる可能性があった<ref>松谷健二 108-111ページ</ref>。
 
フネリックは次の王に息子のヒルデリックがなることを望んでいたが、フネリックはカトリック迫害の結果、ひどく不人気であった。そこで王位継承問題で対抗勢力となりうる弟のテウドリックとその家族を粛清するなど非道な方法を駆使する。この間、後に王になるゲセリックの次男ゲントの息子{{仮リンク|グンタムント|en|Gunthamund}}([[484年]]-[[496年]])は、混乱のさなかに逃亡して姿を暗ましていた。フネリックの政治は恐怖政治となっていた<ref>松谷健二 111-112ページ</ref>。しかし、フネリックは在位わずか7年にして世を去り、王位は嫡流のヒルデリックではなくゲントの次男グンタムントに継承された<ref>松谷健二 113ページ</ref>。グンタムントはカトリックへの迫害を止めてフネリックの恐怖政治を改めて国内融和を図るとともに東ローマ帝国との平和的な関係を実現しようとした<ref>松谷健二 113-114ページ</ref>。
 
=== ヴァンダル王国の衰退 ===