「メジャーリーグベースボール」の版間の差分

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{{mlby|1929|d=y}}頃始まった[[世界恐慌|大恐慌]]の影響を受けて、野球の人気は再び下降を始めた。{{mlby|1932|d=y}}までに、利益を上げたMLBチームは2チームだけだった。野球のチケット価格には10%の娯楽税が課せられ、観客動員は減少した。オーナーは契約選手を25人から23人に減らし、最優秀選手でさえも賃金を引き下げた。チームは生き残りをかけて、[[ナイター|ナイターゲーム]]の実施、ラジオでのライブ中継、女性の無料入場などの改革を行ったが、大恐慌の前には歯が立たなかった<ref name="Belson">{{cite news|last=Belson|first=Ken|title=Apples for a Nickel, and Plenty of Empty Seats|url=http://www.nytimes.com/2009/01/07/sports/baseball/07depression.html?pagewanted=all&_r=0|accessdate=October 31, 2013|newspaper=The New York Times|date=January 6, 2009}}</ref>。
 
追い打ちをかけるかのように{{mlby|1939|d=y}}、[[第二次世界大戦]]が開戦。MLBでもチームに所属している選手500人以上が出兵を余儀なくされ、深刻なプロ野球選手不足を引き起こした。彼らの多くは、出兵している軍人を楽しませるサービス野球チームでプレーした。この時期のMLBチームは、兵役対象外の青少年、年長の選手で構成されていることになった。中には精神的、道徳的に不適格だった者もいた。その一方、肉体的にハンディキャップをおった選手にも機会をあたえることになった。片腕がなかった外野手の[[ピート・グレイ]]のような選手も、メジャーリーグに進出することができた。しかし、黒人がMLBのロースターに含まれることはなかった<ref name="War">{{cite book|last=Anton|first=Todd and Bill Nowlin (eds.)|title=When Baseball Went to War|year=2008|publisher=Triumph Books|isbn=1-60078-126-8|pages=7–9|url=https://books.google.com/?id=pYovAQAAQBAJ&printsec=frontcover&dq=baseball+world+war+II#v=onepage}}</ref>。黒人選手は、戦争で人手不足であっても、MLBの出場は認められず、依然として[[ニグロリーグ]]でしかプレーできなかった<ref name="Martin">{{cite book|last=Martin|first=Alfred|title=The Negro Leagues in New Jersey: A History|year=2008|publisher=McFarland|isbn=0-7864-5192-0|pages=104–105|url=https://books.google.com/?id=FV0uF_RwC00C&pg=PA104&dq=negro+leagues+world+war+II#v=onepage}}</ref>。はじめて黒人がMLBに登場するのは、1947年の[[ジャッキー・ロビンソン|ジャッキーロビンソン]]である。
 
戦時中の[[灯火管制]]により、野外照明を暗くしなければならなかったため、ナイターでの試合が困難になった<ref name="Martin" />。{{mlby|1942|d=y}}、国内では開催中止論も広まりつつあったが、1月14日に、初代[[MLBコミッショナー|コミッショナー]]である[[ケネソー・マウンテン・ランディス]]は、[[フランクリン・ルーズベルト]]大統領宛てに手紙を送り、新たなメジャーリーグシーズンの開始と戦時中の野球の継続を嘆願した。大統領の返信には「野球を続けるのが最善であると正直に思っている。失業者は少なく、誰もがこれまで以上に長時間厳しい労働を強いられることになるだろう。ということは、今まで以上に全国民がリクリエーションの機会を持つべきだ。」と書かれていた。この手紙は「グリーンライトレター(青信号の手紙)」と呼ばれ[[アメリカ野球殿堂]]博物館に保管されている<ref>Roosevelt, Franklin. "Green Light Letter". January 15, 1942.</ref>。