「寛永寺」の版間の差分

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{{Otheruses|東京都台東区の寛永寺|その他|寛永寺 (曖昧さ回避)}}
{{日本の寺院
|名称 = <ruby><rb>寛永寺
|画像 = [[File:Kaneiji 2012.JPG|300px]]<br />根本中堂
|所在地 = [[東京都]][[台東区]][[上野桜木]]一丁目14番11号
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以後、幕末の15世公現入道親王([[北白川宮能久親王]])に至るまで、皇子または天皇の猶子が寛永寺の貫主を務めた。貫主は「輪王寺宮」と尊称され、水戸・尾張・紀州の徳川御三家と並ぶ格式と絶大な宗教的権威をもっていた。歴代輪王寺宮は、一部例外もあるが、原則として天台座主を兼務し、東叡山・日光山・[[比叡山]]の3山を管掌することから「[[三山管領宮]]」とも呼ばれた。[[東国]]に[[皇族]]を常駐させることで、[[西国]]で[[皇室]]を戴いて[[倒幕]]勢力が決起した際には、[[関東]]では輪王寺宮を「[[天皇]]」として擁立し、[[気学]]における[[四神相応]]の[[土地相]]とし、[[徳川家]]を一方的な「[[朝敵]]」とさせない為の安全装置だったという説もある(「[[奥羽越列藩同盟]]」、「[[北白川宮能久親王|北白川宮能久親王(東武皇帝)]]」参照)。
 
==== 歴代寛永寺貫首(輪王寺宮) ====
# [[天海]]
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[[File:Brooklyn Museum - Inside the Courtyard of the Toeizan Temple at Ueno - Katsushika Hokusai.jpg|thumb|200px|right|[[葛飾北斎]]筆 東叡山中堂之図]]
[[File:Kan'eiji old map.jpg|thumb|200px|right|幕末の寛永寺付近の地図(東都下谷絵図より)]]
 
=== 現存する伽藍 ===
*'''本堂(根本中堂)''' - [[東京芸術大学]]音楽学部の裏手にある。上野公園内の清水堂、弁天堂などのにぎわいに比し、本堂周辺は訪れる人もまばらである。現在の堂は、寛永寺の子院・大慈院のあった敷地に、[[1879年|明治12年]]([[1879年]])、川越[[喜多院]]の本地堂を移築したもので、寛永寺本来の建物ではない。内陣には厨子内に秘仏本尊薬師三尊像を安置する(堂内は非公開)。
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*'''根本中堂''' - 他の諸堂より大幅に遅れて[[元禄]]11年([[1698年]])落慶。現在の上野公園大噴水のあたりにあり、重層入母屋造、間口45.5メートル、奥行42メートル、高さ32メートルという壮大な規模のものであった。中堂前には方形に回廊をめぐらし、正面に唐門を設けていた。
*'''本坊''' - 現在の東京国立博物館の敷地にあった。前述のとおり、正門のみが上野戦争で焼け残り、しばらくは博物館の正門として使用されていたが、その後博物館の東の[[輪王寺 (台東区)|輪王寺]]に移築されている。博物館本館裏の日本庭園は寛永寺本坊庭園の名残りである。
 
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File:Ueno Pagoda - panoramio.jpg|大仏山パゴダ
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=== 子院 ===
現在は、以下の19か院。
 
*真如院
*寒松院
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*春性院
*等覚院
 
※以上15か院は、東京国立博物館東側に所在。
 
*養寿院(寛永寺本堂裏手)
*津梁院(寛永寺本堂裏手)
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いずれも寛永寺霊園内にあり(厳有院霊廟の勅額門は外の道路から見ることができる)、通常は一般公開されていないが、5名以上の団体に限り予約制で毎月3日間程度公開されている<ref>[http://www.kaneiji.jp/worship/ 特別参拝のご案内]</ref>。また台東区役所が主催する特別公開が毎年秋に1日だけ行われている<ref>[http://www.city.taito.lg.jp/index/bunka_kanko/torikumi/uenonoyama/kaneiji.html 上野の山文化ゾーンフェスティバル[寛永寺特別公開]]</ref>。
 
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File:Kaneiji Genyuin Mausoleum Gate.JPG|厳有院霊廟勅額門(重要文化財)
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*天海版木活字 264,688箇 - 開山の天海が刊行した「天海版一切経」の印刷に使われたもの。2003年に重要文化財に指定。
*旧寛永寺五重塔(所有者は東京都、[[恩賜上野動物園]]構内に所在)
 
===その他===
*[[算額]] 昭和42年5月 下平和夫奉納(非公開)
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />