「南満洲鉄道の車両」の版間の差分

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:「[[あじあ (列車)|あじあ]]」牽引用に長距離無停車、高速運転(最高速度120km/h)を目的として製造された。当時流行の流線形が採用されたが、蒸気機関車への採用は世界的にも早い時期であった。また、1936年の最終増備車 (981) 1両のみであるが、[[川西航空機]]での風洞実験結果により、流線形被いの形状が「ヘルメット形」と通称されている形態に変更された<ref group="注釈">前面上半分の形状には大きな違いはないが、下半分が上から連続的に繋がったスカートのような形態となっており、翼のような飾りといった意匠の変化もある。</ref>。満鉄の機関車としては初めてシュミットE形過熱器を採用し、燃焼室、給水加熱器、自動給炭機などを備える。また、炭水車車軸の軸受にはティムケン社のローラーベアリングを採用した。[[満鉄連京線|連京線]]で「あじあ」を牽引したが、両数が揃ってからは「はと」にも用いられた。1940年には満州国を訪問した日本の[[秩父宮雍仁親王|秩父宮]]のお召列車牽引機となった。1943年2月に「あじあ」の運転が休止されてからは普通急行列車に使用された。
:'''第二次世界大戦後の動向'''
[[Image:CNR_SL-751.jpg|thumb|right|勝利7型(757)(751)、1984年]]
:全機が大連埠頭局管内 (12) に存在し、中華民国に引き渡された。一部は終戦時の混乱に乗じてソ連軍が持ち去ったという話もある。中華人民共和国成立後は、「PX7」形、のちに「勝利 (SL) 7」形として751 - 770<!--参考文献14-->までの番号が与えられたと考えられる。引き続き瀋大線(旧連京線)周辺で使用された模様で、1980年代には瀋陽で751, 753 - 755の4両が目撃されている。<!--1975年に引退(参考文献13)。-->751は1984年に一旦走行可能な状態に復元された後、757とともに保存され<ref>{{cite web |title=“幻の超特急”満鉄「あじあ」号の機関車 瀋陽の博物館で保存 |publisher=[[フジサンケイビジネスアイ]] |url=https://www.sankeibiz.jp/compliance/news/171013/cpd1710132236014-n1.htm|date=2017-10-13|accessdate=2019-10-20}}</ref>、2019年5月からは{{仮リンク|瀋陽鉄路陳列館|zh|沈阳铁路陈列馆}}で一般公開された<ref>{{cite web |title=満鉄の超特急「あじあ号」、一般公開 中国・瀋陽、現存の2両 |publisher=[[朝日新聞]] |url=https://www.asahi.com/articles/DA3S14022509.html|date=2019-05-20|accessdate=2019-10-20}}</ref>。
*'''パシハ形(2代目)''' 2C1形過熱テンダー機関車 1937年 - 1940年 日立製作所、南満州鉄道大連工場製