削除された内容 追加された内容
一部に出典を追加。
リンク切れを修正
3行目:
 
== 概要 ==
女[[酋長]][[サンアイイソバ]]の後に[[与那国島]]を統治した<ref>サンアイイソバから権力を簒奪したという説もアリ。</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.city.miyakojima.lg.jp/soshiki/kyouiku/syougaigakusyu/hakubutsukan/files/kiyou14-01.pdf&usg=AOvVaw3ElQ0E9cIhQjBWwlxxIWUF|accessdate=2019-10-20|title=仲宗根豊見親と鬼虎~与那国攻入りの年代について~|publisher=}}</ref>。[[琉球王国]]の支配と対立したため、[[宮古島]]の[[仲宗根豊見親]]らに[[討伐]]される<ref>「中導氏系図家普正統」より</ref>。
 
鬼虎は元々[[宮古島|宮古]]は狩俣(現在の狩俣地区)の生まれであった。5歳の頃には既に5尺の身長があった。この頃に宮古島で飢饉があった。ちょうど与那国の人が商売に来ており、鬼虎の形相を見て只者ではないと思い、米一斗で買い取り連れ帰った。長じて鬼虎は身長一丈五寸、勇力無双、智謀に長けた豪傑となり、与那国島の首領となった。<ref>{{Cite journal|last=信之|first=原田|last2=新見公立短期大学地域福祉学科|date=2008-01-01|title=沖縄・与那国島の鬼虎伝説|url=https://niimi-c.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=39&item_id=854&item_no=1|journal=新見公立短期大学紀要|volume=29|pages=247–261|language=ja}}</ref><blockquote>与那国の形勢を見るに、四方は崖が[[屏風]]のように切り立ち、周囲には[[岩礁]]が隠れていた。津口は南に一か所あるだけで、風波が静かな時だけ出入りできた。一人で万を相手にして守りきる事のできる地形で、これを頼んで鬼虎は王化(琉球の[[朝貢国]]化)に従わなかった。先のアカハチ征伐の時も兵船を派遣して攻めさせたが、津口に入る事も出来ずに虚しく帰還した。ここに至って、尚真王は空広(ソラビー。いわゆる[[仲宗根豊見親]])に名剣[[治金丸]]を貸し与え<ref>治金丸は借りた事が明記されている。元々は空広のものだが、既に献上していたため。</ref>、鬼虎征伐を命じた。