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'''内田 俊郎'''(うちだ しゅんろう、[[1913年]] - [[2005年]])は、[[日本]]の[[生物学
== 概説 ==
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彼の研究スタイルは、上述のように完全に管理下に置かれた[[個体群]]における動態の実験研究である。そのために、そのような条件下で繁殖できるような、マメゾウムシなどがモデルとして選ばれている。
この分野の研究としては、1920年代にアメリカで[[パール]]が[[ショウジョウバエ]]を飼育してその増殖の様子を調べ、その増殖曲線に対して[[ロジスティック曲線]]と名付け、これは個体群生態学の発展の基盤となった<ref>内田 (1972)
内田の研究は、この流れに沿ったものと見ることができる。当時は[[第二次世界大戦]]の最中であり、彼の研究成果は世界に知られることがなく、知られるようになった頃にはすでに同様の研究が出た後であった。しかし、彼がその後に取り組んだ[[穀物害虫]]とその[[天敵]]である[[寄生蜂]]との量的関係の研究や、[[ヨツモンマメゾウムシ]]で発見された相変異([[翅多型]])の研究などが注目されるようになった<ref>大串 (1992)
嶋田 (2006) は内田の研究で最もよく知られたものとして[[アズキゾウムシ]]の密度効果に関する研究を挙げているが、同時に彼の研究の意義が「[[生活史]]を通じて密度効果がどのようにかかるか」である点が理解されていないと述べている。さらに、アズキゾウムシとその寄生蜂という[[捕食 - 被食関係]]での個体数振動などを挙げ、そのどれもが後に[[数値シミュレーション]]で大きな成果を上げた分野であることを指摘し、彼の実験系の設計などが[[コンピュータ解析]]などに向いていると述べている。
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