「フレデリック・ランチェスター」の版間の差分

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* 1895年 - 27歳で会社を辞め、自動車を完成。
* 1899年12月 - 31歳で「ランチェスター・エンジン会社」を創業。「ランチェスター」のブランドで自動車の製造販売をおこなう。
** 「ランチェスター」車は、初期には1ピストンあたり2本のコンロッドを備えた独自のバランスシャフト「ランチェスター・バランサー」を採用した[[水平対向2気筒]]エンジンを搭載するなど、技術的に遅れた1900年前後のイギリス車の中では突出した先進性と独創性を備えていた。またサスペンションストロークを大きく取ることで優れた乗り心地を確保し、エンジンスペースを客室内に含ませた[[セミキャブオーバー]]レイアウトを世界に先駆けて採用することで自動車のコンパクト化とシャーシ強化を図るなど、意欲的なアイデアを取り入れていた。しかし、独創性の強すぎる設計は市場の理解を得るには至らず、経営面では必ずしも成功したとは言えなかった。この「ランチェスター」車は一時期、[[トヨタ博物館]]に展示されていた。またの[[バランスシャフト]]の基本概念である「ランチェスター・バランサー」を考案し、特許を取得している
* 1909年 - 40歳で会社を大手自動車メーカーの[[デイムラー]]に売却。以後「ランチェスター」名の自動車はデイムラーの一ブランドとして1950年代まで存続した。その後はデイムラーの技術コンサルタントとして飛行理論の研究に没頭。
* 1914年 - 45歳で「ランチェスター技術研究所」を設立。
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* 1916年初め - レポートをまとめ「戦闘における航空機 - 4番目の兵器の幕開け - (Aircraft in Warfare;the Dawn of the Fourth Arm)」として出版する。[[バーミンガム大学]]から名誉博士の称号を授与された。
* 1919年 - 51歳で20歳年下のドロシーと結婚。子どもは生まれなかった。
* 1925年 - 音楽好きでもあり、ハイファイ[[Hi-Fi]][[ラジオ]]の生産にも乗り出すが失敗。
* 1946年 - 死去。墓は[[ロンドン]]から南に30kmほどの郊外、ウォルステッド・セメトリー墓地にある。