「PWFヘビー級王座」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2016年7月7日 (木) 10:01 (UTC)}}
'''PWFヘビー級王座'''(ぴーだぶりゅーえふ へびーきゅうおうざ)は、日本における[[プロレス]]の王座のひとつ。[[PWF]]が認定し[[全日本プロレス]]が管理運営する[[ヘビー級]]の[[チャンピオンベルト|フラッグシップタイトル]]である。旧称は、'''世界ヘビー級王座'''(せかいへびーきゅううおうざ)、'''PWF認定世界ヘビー級王座'''(ぴーだぶりゅーえふにんていせかいへびーきゅうおうざ、略称:PWF:PWF世界ヘビー級王座)。
 
現在は[[三冠ヘビー級王座]]を構成する3本のベルトのうちの一つである。
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初代王者の馬場は[[ザ・シーク]]、ブッチャー、オコーナー、[[ドリー・ファンク・ジュニア]]、[[ハーリー・レイス]]、[[フリッツ・フォン・エリック]]、[[ジン・キニスキー]]、[[ペドロ・モラレス]]、[[ビル・ロビンソン]]、[[プロフェッサー・タナカ]]、[[ディック・マードック]]、[[ブラックジャック・マリガン]]、[[クリス・マルコフ]]、[[ウィリアム・アフィルス|ディック・ザ・ブルーザー]]、[[オックス・ベーカー]]、[[ワフー・マクダニエル]]、[[キラー・カール・コックス]]、[[ケン・パテラ]]などを退けて38回連続防衛(これは今でも日本プロレス史上の最多連続防衛記録である)を果たしたほか、[[ジャック・ブリスコ]](NWA)、ブルーノ・サンマルチノ([[WWE|WWWF]])、[[大木金太郎]]([[アジアヘビー級王座|アジア]])の各王者との[[ダブルタイトルマッチ]]も行った。
 
1978年6月に[[キラー・トーア・カマタ]]との防衛戦で、カマタの[[反則行為#プロレス|反則]]に怒った馬場が反則でやり返して大暴走、反則負けで王座転落。それまでアメリカでも日本でも「反則やリングアウトでは王座は移動しない」という選手権試合ルールとなっていたのを馬場が「反則負けでも負けは負け」としてPWFルールで反則・リングアウトでの王座移動を認めるようにしていたのだが、それが裏目に出た形となった。カマタは初防衛戦でロビンソンに敗れ、ロビンソンからブッチャーへ王座は移動、1979年2月に馬場は[[シカゴ]]で王座奪回に成功する。
 
第5代王者時代の馬場は、防衛戦のペースこそ低下したもののブッチャー、[[ブルーザー・ブロディ]]、カマタ、ロビンソン、[[タイガー・ジェット・シン]]、[[テリー・ゴディ]]らを相手に3年8ヶ月の間防衛を続けた。この間、[[1981年]]1月には馬場のデビュー以来3000試合無欠場記録記念試合として[[バーン・ガニア]]の[[AWA世界ヘビー級王座]]とのダブルタイトルマッチが行われ、1982年2月には[[新日本プロレス]]から引き抜いた[[スタン・ハンセン]]とのシングル初対決がPWF選手権試合として実現している(2試合とも[[東京スポーツ]][[プロレス大賞]]の「年間最高試合賞」を受賞)。また、[[グリーンズボロ (ノースカロライナ州)|グリーンズボロ]]([[バロン・フォン・ラシク]])、[[ミネアポリス]]([[サージェント・スローター|スーパー・デストロイヤー・マークII]])、[[アトランタ]](テリー・ゴディ)、[[ダラス]]([[キングコング・バンディ]])などアメリカ各地で防衛戦が行われたのも馬場王者時代の大きな特徴である。
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{{デフォルトソート:PWFへひいきゆうおうさ}}
 
[[Category:全日本プロレスの王座|統合]]
[[Category:プロレスのヘビー級王座]]