削除された内容 追加された内容
修正
タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集
7行目:
 
編纂者は不明で、現存テキストには「以下略之」など、省略したことを示す記述があることから、原本そのものの書写ではなく、抄出本の写本とも考えられる。
遣唐副使を務め、『[[懐風藻]]』に最多の漢詩を残す[[藤原宇合]]が[[常陸|常陸国]][[国守]]であったことから、その編纂者に比定されることもある。
また、『[[万葉集]]』の巻6に、[[天平4年]]に宇合が西海道節度使に任じられたときの[[高橋虫麻呂]]の送別歌があり、巻9には、[[高橋虫麻呂]]の「筑波山の歌」があることから、風土記成立に2人が強く関与していると考える説がある(このことについては[[高橋虫麻呂]]を参照)。