「尚徳王」の版間の差分
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== 生涯 ==
尚徳は、尚泰久王の第三王子として
[[マラッカ]]に使者を派遣し交易を始め、市場を拡大させた。北は日本、朝鮮、南はマラッカ、[[タイ王国|シャム]]と琉球は中国交易を中心とした、大交易時代でもあった。
[[1466年]]に国王自ら
[[1469年]]、29歳で薨去した。死後、金丸(後の[[尚円王]])らの[[クーデター]]により[[世子]]は殺害された。<ref>新城俊昭「琉球・沖縄史」東洋企画</ref>
一族の多くが追放、ないしは殺害された。ある伝承では、[[久高島]]参詣に出向いた尚徳は、大里家の美少女[[ノロ|祝女]]クニチヤサに心を奪われ、寵愛のあまりに帰還を忘れ、その隙に首里でクーデターが起こったとされる。異変を感じて首里に戻ろうとしたが、船で一里も進まないうちに、行き合わせた漁船から王家の虐殺と金丸の即位を聞き、憤って海に身を投げて死んだという。{{要出典|date={{#time:Y年n月|+9 hours}}}}
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