「ダンディライアン (企業)」の版間の差分

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| 活動期間 = 1989年 - 現在
| カテゴリ = [[フォーミュラ・ニッポン|FN]]、[[スーパーフォーミュラ|SF]]<br />[[全日本F3選手権|全日本F3]]<br />[[全日本ツーリングカー選手権 (1994年-1998年)|JTCC]]
| チームズタイトル = FN 12 ([[2012年のフォーミュラ・ニッポン|2012]],[[2019年のスーパーフォーミュラ|2019]])
| ドライバーズタイトル = FN 1 ([[2004年のフォーミュラ・ニッポン|2004]])
| ライダーズタイトル =
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[[フナキレーシング]]でレーシングチームの基礎を学んだ[[村岡潔]]が、[[1989年]]11月に「'''DANDELION RACING PROJECT'''(ダンディライアン・レーシング・プロジェクト)」を発足。当初のスタッフは村岡の他にメカニックと経理が各1人の3人のみで、他チームのメカニックやマネージャーを請負いながらも、[[広告]]や[[イベント]]の代理店の外注の仕事などで生計を立てている状態であった。[[1991年]]8月に有限会社ダンディライアンに法人改組。
 
[[1993年]]に[[日本電信電話|NTT]]のイベントの仕事で出来た人脈をつてに[[営業|飛び込み営業]]でNTT移動通信網(現・[[NTTドコモ]])と小額ながら[[スポンサー]]契約を結ぶ。これをきっかけに独自チームで[[全日本F3選手権]]に参戦を開始し、翌[[1994年]]まで参戦したが目立った成績は残せなかった。なお、1993年から始まったNTTドコモとの関係は、現在長年にわたる継続しのとなっている。
 
[[1995年]]からは唯一のプライベートチームとして[[全日本ツーリングカー選手権 (1994年-1998年)|全日本ツーリングカー選手権]](JTCC)に参戦。しかし、[[ワークス・チーム]]と[[セミワークス|サテライトチーム]]ばかりの状況で成績を残すことが出来ず、シリーズが消滅する[[1998年]]まで厳しい4年間を過ごすこととなった。
 
JTCCの消滅と共に翌[[1999年]]から念願であった[[フォーミュラ・ニッポン]]に参戦を果たすも、暫くは結果を出すことができなかった。[[2001年]]には[[フォーミュラ1|F1]]の[[ザウバー|ザウバーチーム]]と、[[エンジン]]や[[シャシ (自動車)|シャーシ]]などの技術的なサポートと人材派遣を受ける提携を結び、世界進出の足掛かりとなる可能性のある提携(提携は数年継続した)と発表された。参戦4年目の[[2002年]]、途中加入した[[リチャード・ライアン]]により初ポイント(2位)を獲得。以降はコンスタントにポイントを獲得できるチームとなった。
 
[[2004年]]にライアンがドライバーチャンピオン、[[2012年]]と[[2019年]]にチームチャンピオンを獲得している。
 
== 参戦歴 ==