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'''大久保 正信'''(おおくぼ まさのぶ、本名:同じ、[[1922年]][[2月6日]]<ref>[[成美堂出版]]編「男性篇」『声優名鑑』成美堂出版、1999年8月10日、ISBN 4-415-00878-X、378頁。</ref> - [[1987年]][[3月31日]])は日本の男性[[俳優]]、[[声優]]。[[山形県]][[鶴岡市]]昭和町出身。姉の大久保イチ(1911年5月5日-1936年10月2日)<ref>鶴岡日報 昭和11年7月14日朝刊 鶴岡市十三軒町付近で同日に発生したバス火災事故(死亡7名、重傷3名)により、災難から80日後の昭和11年10月2日に死亡。享年26歳27。</ref>は同市立黄金小学校(青龍寺尋常高等小学校)教諭で[[藤沢周平]]を1〜2年生時に担任<ref>『ふるさとへ廻る六部は』 藤沢周平 新潮出版 1995 P22 「私は昭和九年に小学校に入り、一年、二年を女の大久保先生に担任していただいた。大久保先生は私の記憶の中に、いつも紫と白の矢絣の着物に紺の袴、白足たびという姿で立っている。(中略)静かな声を持つやさしい先生だったので、私たちは十分満足していた。私たちは親鳥の羽の下にはぐくまれる雛のようにして、二年間を過ごした。(中略)バスの火災事故で亡くなられた。ずいぶん大人のように見えた先生も、考えてみるとこの間結婚した私の娘より二つ、三つ歳上ぐらいではないだろうか。その死亡事故の知らせを聞いたときのかなしみは、六十歳の私の胸にいまもかすかに残っている。」 </ref>した。[[劇団文化座]]、[[プロダクション エム・スリー]]に所属していた。
 
== 出演作品 ==