「フルエーラ2世」の版間の差分

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アストゥリアス王[[アルフォンソ3世 (アストゥリアス王)|アルフォンソ3世]]と王妃ヒメナの三男として育った。910年に父よりアストゥリアス王国を継承した。
 
彼は主導権を持つ兄[[オルドーニョ2世]]と良好な関係を保った。2人は[[レコンキスタ]]で協力し、オルドーニョが作成した免状に「Froila rex」と署名している。924年に兄オルドーニョが死ぬと、権力者たちはオルドーニョのたちを無視してフルエーラをレオン王に選出した。フルエーラは貴族と臣下に人気がなく、選出は疑わしく王位の簒奪を疑われている。彼は、[[西ゴート王国|西ゴート]]王ウィティザの末裔を自称するオルムードの子、ヘブルドとアレシンドを[[暗殺]]し、さらに貴族たちを遠ざけた。このために、彼は年代記においてわずか14月間にすぎなかった治世を非難されている。歴史家ラモン・メネンデス・ピダルによれば、オルムードの縁者であった[[レオン (スペイン)|レオン]][[司教]]フルニミオを追放している。いずれにせよ、フルエーラは14月以上統治することなしに、925年初夏、[[ハンセン病]]に罹患して数日で急逝した。フルエーラの死によって継承問題が発生し、彼の弟のラミーロ、先代オルドーニョ2世の息子たち、そしてフルエーラの年若い息子たちが権利を主張した。即時の継承に幾度かの議論がなされ、最終的にフルエーラの親族はオルドーニョ2世の親族に退けられた。
 
==子女==
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[[Category:レオンの君主]]
[[Category:カンタブリア家]]
[[Category:870年代生]]
[[Category:925年没]]