「生き埋め」の版間の差分

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'''宗教的および政治的行為として行われる生き埋め'''は、多くの場合、[[生贄]](動物を含む)や[[人身御供]]の一種である。[[日本]]にはこの形の人身御供として[[人柱]]があった。人柱に類似の人身御供は日本以外の地域でも散見される。ほかにも、[[アフリカ]]は[[マリ共和国]]の都市[[ジェンネ]]に残る伝説では、[[9世紀]]末に都市が築かれる際、タパマ・ディネポ (Tapama Dienepo) という一人の少女が、都市防衛と繁栄[[祈り|祈願]]のため、都市の[[城|城郭]]に生き埋めにされたという。
 
また、政治的側面を多分に備える宗教的行為と言うべきであるが、権力者の死に伴う殉死者が殉葬という形で生き埋めにされることは古代世界において稀ではなかった。『[[日本書紀]]』の記すところでは、[[倭彦命]]の死に伴って側近たちが主人の墓の周辺に生き埋めにされたが、その最期があまりにも悲惨な様子であったことから、これよりのち、[[野見宿禰]]の考案した[[埴輪]]をもって殉死者の代わりとする習慣が生まれたという(埴輪の起源譚)。記述の厳密な信憑性はともかくとして、当時の日本には生き埋めによる殉死が故習として存在し、やがて廃止されるに至ったことが窺える。考古学的には、[[古墳時代]]に殉葬はなかったとする説が有力であるが、一部で研究する説(『土曜考古 第27号』2003年 pp.145 - 146)がある(詳細は[[殉死]]を参照)
 
そのほか、信仰がらみの[[虐待]]で生き埋めが行われることもある。