「タラワ (空母)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 脚注の追加等
m 細部表現を修正
58行目:
サンディエゴ出港以来16ヶ月以上にわたる航空作戦を終えた後、タラワは1948年9月28日にサンディエゴを出港し世界巡航を行う。10月第2週の終わりに真珠湾に寄港、続いて最初の寄港地[[中国]]の[[青島市|青島]]に10月29日到着する。青島では5週間にわたって停泊し、12月の初めに[[香港]]および[[シンガポール]]へ向かう。シンガポールを12月23日に出港し、新しい独立国の[[セイロン (ドミニオン)|セイロン]]へ向かい、首都の[[コロンボ]]に12月29日到着する。同地を1949年1月2日に出港し[[ペルシャ湾]]で[[バーレーン]]と[[ジェッダ]]を訪問、その後[[スエズ運河]]を1月20日~21日にかけて通過する。タラワは[[ギリシア]]、[[トルコ]]および[[クレタ島]]への航海を継続した。2月8日に[[地中海]]を横断し、[[ジブラルタル]]に12日~13日の間停泊する。続いて[[大西洋]]を横断し、2月21日にノーフォークに帰港した。その後、初夏まで東海岸沿いおよび[[カリブ海]]の水域で通常任務に従事した。
 
第二次世界大戦後の海軍の縮小に伴い、この時期までに他の同型艦の多くが予備役となっていたが、タラワも例外でなかやや長く現役にあった。タラワはものの、不活性化オーバーホールの後1949年6月30日に退役し大西洋予備役艦隊に編入された{{sfn|DANFS}}。
 
=== 再就役 ===
64行目:
タラワの予備役は18ヶ月ほど続いたが、[[朝鮮戦争]]が始まると1950年11月30日に再就役の決定がなされる。1951年2月3日にタラワは[[ロードアイランド州]][[ニューポート (ロードアイランド州)|ニューポート]]でJ・H・グリフィン艦長の指揮のもと再就役した。
 
朝鮮戦争のため再就役したものの、タラワは実戦参加することはなかった。より正確に言うと、タラワは戦地に派遣された空母に代わって[[第6艦隊 (アメリカ軍)|第6艦隊]]および[[第2艦隊 (アメリカ軍)|第2艦隊]]の空母が戦地配属派遣れていたため、タラワはその代わりとして用いられた。1952年10月1日に艦種変更がなされ、攻撃空母(CVA-40)となる。1954年春には[[朝鮮半島]]水域に到着するが、1953年7月に休戦協定が結ばれていたため実戦を経験することはなかった{{sfn|DANFS}}。
 
タラワは1954年9月に東海岸へ帰還し、通常任務を再開した。12月に[[対潜空母|対潜水艦作戦支援空母]]への転換および[[オーバーホール]]のため[[ボストン海軍造船所]]に入渠する。転換のための改修作業中の1955年1月10日に艦種変更が行われ、分類番号は CVS-40 となった。転換作業はその夏完了し、整調後にタラワはロードアイランド州[[クォンセット・ポイント]]を拠点として作戦活動を行い、対潜水艦戦航空団を指揮しながら訓練を行った。その秋に対潜水艦攻撃第4グループとの演習に参加し、その後クォンセット・ポイントに帰還すると翌年春の演習準備を行った{{sfn|DANFS}}。
72行目:
その後、大西洋艦隊に所属しての活動が続いた。クォンセット・ポイントおよびノーフォークから東海岸で活動し、しばしばカリブ海水域で演習を行った。その後のタラワの任務はおおむね大西洋艦隊のためのパイロット訓練と、ますます増大する[[ソビエト連邦|ソ連]][[潜水艦]]の脅威に対する偵察任務が占めることとなった。
 
=== 退役 ===
ここエセックス級のうち[[SCB-27]]や[[SCB-125]]といった近代化改装を受けず、強襲揚陸艦や練習空母といった役割も持たない艦は1960年まに次々と退役していった。タラワの活動は終わりを迎える。[[1960年]]5月113日に退役して予備役に編入され、[[ペンシルベニア州]][[フィラデルフィア]]で予備役となり、そのまま保管状態が続いた。1961年5月に艦種変更されて航空機輸送艦(AVT-12)となったがこれは形式的なもので、そのまま現役に復帰する事なく1967年6月1日に除籍された。
 
船体は1968年10月3日にスクラップとして[[メリーランド州]][[ボルティモア]]のボストン・メタルズ株式会社に売却された{{sfn|DANFS}}{{sfn|A Brief History of U.S. Navy Aircraft Carriers V}}{{sfn|Silverstone|2011|p=4}}。
 
タラワは竣工が第二次世界大戦に間に合わず、その後もほぼ大西洋での活動に終始したため、結果的にはエセックス級の中で唯一実戦に投入されなかった。
エセックス級の中でタラワは3番目に早く除籍され、また実戦を経験しなかった唯一の艦である。[[SCB-27]]や[[SCB-125]]といった近代化改装を受けなかったため、艦容は就役から最後までほぼ変化しなかった。
 
== 関連項目 ==