「シク王国」の版間の差分

[[1845年]][[12月]]、シク王国の軍隊はイギリスの挑発的な行動に乗せられ、イギリスとの戦争に突入した([[第一次シク戦争]])<ref>小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.285</ref>。ところが、宰相の[[ラール・シング]]と軍総司令官の[[テージ・シング]]はひそかにイギリスに通じていた。
 
[[1846年]][[3月8日]]、シク王国はイギリスに敗北を認め、[[ラホール条約]]を結んで講和した<ref>小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.285</ref>。これにより、首都ラホールにはイギリス人の駐在官が置かれ、王国はカシミールなど多くの領土の割譲を余儀なくされ、軍隊も縮小を余儀なくされた。またこのとき、イギリス側に協力したジャンムーの領主グラーブ・シングは500万ルピーの支払いの見返りとして[[ジャンム・カシミール|ジャンムー・カシミール地方]]を割譲され、[[ジャンムー・カシュミール藩王国|ジャンムー・カシミール藩王国]]を建国した。
 
同年[[12月16日]]には別の条約の締結を余儀なくされ、イギリスの駐在官は王国においてあらゆる権限を行使できるようになった。また、イギリスは自らの判断で、王国の各地に駐屯地を置くことが認められた。