「中村城 (土佐国)」の版間の差分

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地図
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reject_y = [[元和 (日本)|元和]]元年([[1615年]])|
remains = 土塁、石垣、曲輪|
cultural asset=四万十市指定[[史跡]]|
rebuilding things = 模擬天守|
location = {{ウィキ座標2段度分秒|32|59|48.97|N|132|55|45.63|E|scale:60000}}|
地図=Japan Kochi|
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経度度=132|経度分=55|経度秒=45.63|
アイコン=日本の城跡|
ラベル=中村城|
ラベル位置=bottom|
}}
 
'''中村城'''(なかむらじょう)は、[[高知県]][[四万十市]](旧[[中村市]])丸の内に、[[中世]]から[[近世]]にかけて存在した[[日本の城]]([[平山城|平山城跡]])である。'''為松城'''の別名を持つ。四万十市指定[[史跡]]<ref>[http://www.city.shimanto.lg.jp/kyouiku/bunkazai/kinen.html 「四万十市の文化財-記念文化財の一覧-」]四万十市公式HP</ref>
 
== 歴史 ==
[[応仁の乱]]を避けた[[一条教房]]が、荘園([[幡多荘]])であった中村に下向しそのまま[[戦国大名]]として土着し、元々この地にいた豪族の[[為松氏]]が家老として取り立てられ、その為松氏により築城されたのが始まりと考えられている。
 
代替わりして[[一条兼定]]の時、兼定は素行が悪く家臣により豊後へ追放され、その後一条家は[[長宗我部元親]]に攻められて滅亡した。
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{{-}}
 
== 出典脚注 ==
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