「ランドルフ (空母)」の版間の差分

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==艦歴==
[[File:USS Randolph (CV-15) after her launch at Newport News Shipbuilding on 28 June 1944.jpg|300px|left|thumb|ランドルフの進水式]]
ランドルフは1943年5月10日、[[バージニア州]][[ニューポート・ニューズ]]の[[ニューポート・ニューズ造船所|ニューポート・ニューズ造船 & 乾ドック社]]で起工する。1944年6月28日、ローズ・ジレット([[アイオワ州]]選出[[上院]]議員ガイ・M・ジレットの妻)によって命名、進水し、1944年10月9日、初代艦長フェリックス・ロック・ベイカー大佐の指揮下就役した。
 
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整調航海は[[トリニダード]]から[[パナマ運河]]を通って[[太平洋]]に向けて行われた。12月31日[[サンフランシスコ]]に到着、87航空部隊から12航空部隊に転属され、4ヶ月の作戦行動に入った。なお、この時までに対空火器の増設等の改修を受けているのが写真で確認できる。
 
ランドルフは1945年1月20日にサンフランシスコを出港した。[[ウルシー環礁]]に到着すると2月10日に[[第38任務部隊|第58任務部隊]]に配属される。ランドルフは[[東京国際空港|東京飛行場]]および日立航空機立川発動機製作所に対して2月16日、17日に攻撃を行った。18日には[[父島]]への攻撃を行う。2月20日には[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]上陸部隊への支援攻撃および[[母島]]上陸部隊への2度の支援攻撃を行う。続く4日にわたり硫黄島への攻撃と偵察を継続した。2月25日には関東地区の飛行場への3度の攻撃と[[八丈島]]への攻撃を行い、その後ウルシー泊地へ帰投した。
 
[[File:USS Randolph (CV-15) under repair.jpg|thumb|250px|left|ウルシー環礁で特攻機の突入を受け、[[工作艦]]が応急修理を実施中]]
ウルシー泊地へ停泊中の3月11日、[[九州]]の[[鹿屋航空基地|鹿屋基地]]から発進した梓特別攻撃隊の[[銀河 (航空機)|銀河]]が飛行甲板後部に突入、25名が死亡し106名が負傷した。ウルシーでの修復後、ランドルフは4月7日に沖縄攻略部隊に参加する。[[沖縄本島]]、[[伊江島]]、[[加計呂麻島]]に対する航空偵察は4月14日まで毎日続けられ、15日から沖縄に対する戦闘機、爆撃機および雷撃機の攻撃支援、九州南部の飛行場への攻撃を行った。4月17日から月末までランドルフは攻撃及び偵察支援に艦載機を投入した。
 
5月に入るとランドルフの艦載機は[[沖縄県|沖縄]]および九州南部、[[喜界島]]、[[奄美大島]]の海軍基地、飛行場への攻撃を行う。5月15日にはこの時期、第58任務部隊の[[旗艦]]だった「[[バンカー・ヒル (空母)|バンカー・ヒル]]」が11日に、交代した「[[エンタープライズ (CV-6)|エンタープライズ]]」も14日に特攻攻撃で戦線離脱したため、[[マーク・ミッチャー]]司令官は15日よりランドルフで指揮を執るこった。沖縄本島への攻撃任務を継続した後、5月29日には[[グアム]]経由で[[フィリピン]]へ帰還した。
 
ランドルフの次の任務は[[ウィリアム・ハルゼー|ハルゼー]]提督率いる[[第3艦隊 (アメリカ軍)|第三艦隊]]の一部として、[[本州]]への攻撃を行うことであった。搭載部隊は第12航空団から第16航空団となり、7月10日には関東地区の飛行場に8度の攻撃を行う。7月14日には[[津軽海峡]]で船舶及び飛行場に対する攻撃を行う。この攻撃で2隻の[[青函連絡船]]が撃沈され、3隻が大破した。本州への攻撃はその後数日間継続された。7月18日には[[横須賀市|横須賀]]海軍基地の桟橋に偽装されて停泊していた[[戦艦]][[長門 (戦艦)|長門]]への攻撃を行っている。
 
その後ランドルフは僚艦と共に南西方面、[[四国]]沖に移動、7月24日には[[瀬戸内海]]で船舶への攻撃を行い、[[航空戦艦]][[日向 (戦艦)|日向]]へ打撃を与えると共に九州、本州、四国の飛行場、軍需施設への攻撃も行った。7月10日から25日まででランドルフの艦載機は小さな帆掛け船から[[海防艦]]まで25から30隻の艦船を破壊し、35から40隻に損傷を与えたと見積もられる。ランドルフの艦載機はその後も攻撃を継続し、日本降伏当日の[[8月15日]]は午前中に[[木更津飛行場]]および周辺施設へ攻撃を行った。
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File:F6F-5 VF-12 on cat USS Randolph 1945.jpg|ランドルフ所属の[[F6F (航空機)|F6F]]戦闘機
File:Damaged USS RANDOLPH resulting from a Japanese suicide attack. Damage to overhead hangar and flight deck aft. - NARA - 520655.tif|ウルシー環礁で特攻機の突入を受ける(1945年3月11日)
[[File:USS Randolph (CV-15) under repair.jpg|thumb|250px|left|ウルシー環礁泊地特攻機の突入を受け、[[工作艦]]が応急修理を実施中]](3月13日)
File:Mitscher and Burke.jpg|旗艦ランドルフで作戦を行うミッチャー司令官と[[アーレイ・バーク]]代将(6月)
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=== 第二次世界大戦後 ===
戦争の終了に従ってランドルフは本国へ帰還する。9月末に[[パナマ運河]]を通過し、[[ノーフォーク (バージニア州)|ノーフォーク]]には10月15日に到着した。その後[[マジック・カーペット作戦]]に参加、年末まで[[地中海]]への二度の航海を行う。1946年に入るとランドルフは予備役兵と海軍兵学校生のための練習艦となり、同年後半に[[地中海]]への巡航を行う。その後[[カリブ海]]へ航海を行い、1947年の夏には海軍兵学校生を乗せ北ヨーロッパへ航海を行う。大戦終結に伴う海軍の縮小に伴い、エセックス級の多くの艦が予備役になっていたが、ランドルフも1948年2月25日に予備役に編入され、[[フィラデルフィア]]で停泊した。
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ランドルフは第二次世界大戦の戦功により3つの従軍星章を受章した。
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File:USS Randolph (CVA-15) underway 1954.jpg|thumb|SCB-27A改装実施後(1954年撮影)
File:USS Randolph (CVS-15) underway on 25 October 1959 (USN 1059601).jpg|thumb|SCB-125改装実施後(1959年10月25日撮影)