「常総筑波鉄道」の版間の差分

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** [[8月13日]]:[[関東鉄道常総線|常総線]][[守谷駅|守谷]]-[[小絹駅|小絹]]間を走行中の列車が米軍機[[P-51 (航空機)|P-51]]に急襲。数十名の死傷者。
* [[1946年]](昭和21年):常総線通勤通学による混雑のため、貨車まで代用して輸送にあたる。国鉄も混雑する[[取手駅]]の状況に早朝、取手 - 松戸間に臨時列車を増発。
* [[1947年]](昭和22年):戦時統合である常総筑波鉄道を元の2社に戻すべきという株主提案。戦時統合により旧茨城急行自動車から東武自動車、そして常総鉄道に合併した路線について、株主総会で分離承認。下館 - 水戸、小田 - 宗道、国松 - 下妻など総延長161kmを[[東武鉄道]]に譲渡<ref>『関東鉄道株式会社70年史』276-277頁</ref>。
* [[1948年]](昭和23年)[[2月1日]]:常総筑波鉄道から国鉄に申請した、常総線から上野までの直通運転を開始<ref name="sone21 10">[[#sone21|『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 10頁]]</ref>。1949年(昭和24年)にそれまでの上野 - 松戸間での電車運行を、取手まで延ばす計画決定につながった。
* [[1949年]](昭和24年)[[6月1日]]:[[常磐線]]松戸 - 取手間電化工事完成。上野 - 取手間36往復。常総線でも9往復を14往復に増発。また、下館 - 取手間に[[急行列車]]運転開始。
 
=== 自動車 ===
* [[1947年]](昭和22年):)5月21日:戦時統合である常総筑波鉄道を元の2社に戻すべきという株主提案。戦時統合により旧茨城急行自動車から東武自動車、そして常総鉄道に合併した路線について、株主総会で分離承認。下館 - 水戸、小田 - 宗道、国松 - 下妻など総延長161kmを[[東武鉄道]]に譲渡<ref>『関東鉄道株式会社70年史』276-277、552頁</ref>。
*1947年(昭和22年)[[7月16日]] 下館 - 真壁間、下館 - 筑波間の路線復活。その後も下妻 - 結城、筑波 - 土浦などの休止路線が復活。
*1950年(昭和25年)[[12月]] 東武自動車と共同で土浦 - 下妻 - 古河の幹線再開。