「ミゲル・イダルゴ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
出典の追加
→‎蜂起: 年を記す
22行目:
こうしたなかで、イダルゴは知己のあった[[イグナシオ・アジェンデ]]の勧誘によって、ドローレス村にほど近い[[ケレタロ]]市の政治サークルに関わるようになる。このサークルにはケレタロ市やその近郊の[[クリオーリョ]]が参加しており、その職業は軍人や官僚、商人など多様であった。彼らは、自治運動に反対するスペイン本国出身者たちがナポレオンのスペイン領支配を支持するのではないか、という危機感をいだいていた。そのため、武装蜂起によって、本国出身者の排除を密かに画策するようになった。しかし、この計画は事前に漏れ、ケレタロ市ではメンバーが次々と逮捕された。
 
このニュースが1810年9月16日深夜にドローレス村に伝わると、イダルゴは演説を行い(「[[ドローレスの叫び]]」)、先住民や混血民を中心とする周辺住民を率いて武装蜂起を起こした。演説の正確な内容は伝わっていないが、ナポレオン支配を否定し、その代理である植民地政府を弾劾し、幽閉されている[[フェルナンド7世]]の復位を求めたようである。また、[[カトリック教会|カトリック]]の擁護も演説内容に含まれていた。いっぽう、一般的に演説内容であると信じられている「ガチュピン(スペイン出身の白人の蔑称)に死を!」という表現はのちに付け加えられた可能性が高い<ref>Hugh M.Hamill Jr. ''The Hidalgo Revolt: Prelude to Mexican Independence.'' University of Florida Press, Gainesville, 1966, pp.89-116.</ref>。
 
蜂起が始まり、貧しい先住民や[[メスティーソ|混血民]]が多数参加して規模が大きくなると、これらの参加者に利する要求が掲げられるようになった。例えば、[[人頭税]]の廃止、[[奴隷]]制度の廃止、土地改革などがこうした要求にあたる。また、グアナフアト攻略にみられるように、裕福なスペイン人の虐殺が発生し、そのなかには本国出身者のみならず地元出身のクリオーリョも含まれていたことを考えると、反乱は本国からの独立というよりも、貧しい先住民や混血民の裕福なスペイン人に対する階級闘争の性格を帯びていたことが伺える。このため、クリオーリョ層のなかには、自分たちの立場や身の安全を危惧し、反乱軍を支持しない人びとも多かった。