「桑山健一」の版間の差分

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桑山は、社長に就任すると、財務状況の改善に敏腕を振るい、各部門から上申される投資案件、経費支出をことごとく否決したり、差し戻したりと、経営の引き締めに取り組んだ。そのため、[[バブル経済]]下にあっても、京王は投資には極めて慎重であった一方、[[バブル崩壊]]のダメージもまったく受けなかった。
 
また、桑山は、「'''リフレッシング京王'''」をスローガンに掲げて、[[京王グループ]]全体の経営改革を促し、企業価値の向上に努めた。長年親しまれた社紋や、電車やバスのカラーリングも改め、新たなロゴマークや、コーポレートカラーを採用し、企業イメージの刷新を目指した。結果、京王帝都電鉄以下、グループ各社の財務状況など経営内容は優良化し、連結決算では、旧・東急系四社の中でも、京浜急行電鉄を上回る営業収益を記録している。
 
桑山は、自身の後継として、メーンバンクの[[住友信託銀行]]から、企業財務の専門家である[[西山廣一]]常務を引き抜き、副社長に据えた。桑山は、[[1993年]]、社長職を西山に託して、取締役会長に就任。その後、相談役、次いで最高顧問に退いた。