「高松宮宣仁親王」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m →‎参考文献: 刊行年月のミス修正
m →‎文化・福祉活動: 出典の追加
145行目:
宣仁親王は[[スポーツ]]、国際親善交流、[[厚生]]、[[美術]][[工芸]]など、多岐にわたる活動を行った。中でもよく知られるのは[[競馬]]の「高松宮杯」(現・「[[高松宮記念 (競馬)|高松宮記念]]」)で、病に倒れるまで同レースは毎年観戦し、自ら優勝杯の授与も行っていた。
 
「[[済生会]]」などの総裁を務め、社会活動にも貢献した。なお赤い羽根を渡す([[赤い羽根共同募金]])[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の慈善福祉の慣習を、[[赤い羽根共同募金]]として日本に導入したのは宣仁親王だとされる<ref name="kikuko1998-90">[[#高松宮妃喜久子 1998|高松宮妃喜久子 1998]] p.90</ref>そのためこれは、[[中央共同募金会|社会事業共同募金中央委員会]]の総裁として、[[鶏]]を[[屠殺]]する際に赤い、「赤心」(≒真心)付け例え、赤く染めて募金のシンボルにすることを提案し第一号は宣仁親王であことに由来す<ref name="kikuko1998-90"/>

また戦後は日米親善活動の一環で、「[[国際基督教大学]]」(ICU)の「設立準備委員会名誉総裁」を務めたりもした{{efn|なお同大学は甥にあたる第125代天皇[[上皇明仁]]の孫で、[[秋篠宮文仁親王]]・同妃[[文仁親王妃紀子|紀子]]の長女・[[眞子内親王]]と次女・[[佳子内親王]]の姉妹が在籍・通学しており、[[高松宮]]・[[秋篠宮]]という皇統直系の[[直宮家]]の皇族が関わりを持ったということになる。同大学キャンパスの所在地である[[東京都]][[三鷹市]]には、弟・[[三笠宮崇仁親王]]が名誉総裁を務めた「公益財団法人中近東文化センター」もあり、同じ天皇の弟宮同士が関わって共通した点にもなる}}。
 
ゴルフ・スキー好きでも知られ、暖かい季節は夫妻で再三各地のゴルフ場を訪れてプレーを楽しみ、雪の季節になればよく雪山でスキーを楽しんでいた。