「金剛 (戦艦)」の版間の差分

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10月24日、第一遊撃部隊・第二部隊(第三戦隊〈金剛、榛名〉、第七戦隊〈熊野、鈴谷、筑摩、利根〉、第十戦隊〈[[矢矧 (軽巡洋艦)|矢矧]]、浦風、浜風、磯風、[[雪風 (駆逐艦)|雪風]]、[[野分 (陽炎型駆逐艦)|野分]]、[[清霜 (駆逐艦)|清霜]]〉)はシブヤン海の対空戦闘に参加。アメリカ軍機は主に第一戦隊(大和、武蔵、長門)を攻撃し、戦艦[[武蔵 (戦艦)|武蔵]]が沈没、重巡[[妙高 (重巡洋艦)|妙高]]も脱落という被害を受けた。第三戦隊はほぼ無傷であった<ref>『日本海軍艦艇写真集 戦艦金剛・比叡』34頁(光人社)</ref>。
 
10月25日午前6時45分、第一遊撃部隊は[[サマール島]]沖で[[クリフーマス・L・スプレイグ]]少将率いる第七七・四任務部隊の第三群(通称タフィ3戦隊)と遭遇。米護衛空母群は戦艦部隊(大和、長門、榛名、金剛)の先制砲撃を受け折しも到来していたスコールへと退避するために東方へと遁走。煙幕を展張し、7時6分から次々とスコールへと逃げ込んだ。栗田長官率いる第一遊撃部隊は第五、第七戦隊を先頭に追撃を開始し、金剛は第五、第七戦隊に後続する形で東方へと向かった<ref group="注釈">風上が東であった。直線的に突き進んだ他の艦艇は激しいスコールと護衛駆逐艦の煙幕に視界を奪われた。</ref>。榛名もこれに続いたがマリアナ沖海戦での推進機類故障が直っておらず26ktしか出せず金剛との距離が離れ第三戦隊は各艦がバラバラに進撃することになった。28ktで突撃する第七、第五戦隊の後方に続行していた金剛は7時14分に駆逐艦に砲撃を加えた後スコールに突入。同22分には航空機からの機銃掃射を受け主砲[[レンジファインダー|測距儀]]を破損(9時に修理が完了)し、スコールに突入したことから7時25分には砲撃を中止する。同33分にはホーエルから発射されたとされる魚雷を回避する事態もあったが、その後はアメリカ艦隊を視認し予測位置とされる東南東に向けて全速で突撃した<ref name="newkongougata-186">『歴史群像太平洋戦史シリーズ65 決定版 金剛型戦艦』pp.186-189「サマール島沖での一大追撃戦」</ref>。同59分にスコールを脱した金剛は米空母群を南西方向に発見し、8時2分から主砲副砲による砲撃を再開したのち、同5分に今度は南方へと艦先を変え落伍していたガンビア・ベイに追い迫り、重巡部隊と共に攻撃を加えた<ref>『日本海軍艦艇写真集 戦艦金剛・比叡』35、36頁(光人社)</ref><ref name="newkongougata-186" />。同20分にガンビア・ベイは金剛主砲の至近弾による機雷効果、もしくは重巡部隊主砲の水中弾により前部機関室が浸水、速度が11ktまで低下する。その結果金剛と重巡部隊の集中攻撃を受け同45分に航行不能に陥り、9時11分に沈没した。金剛は8時50分に「空母一隻大火災大爆発」を報じ、射撃を中止している<ref name="newkongougata-186" />。
 
金剛は同55分に「われ一四〇度方向の空母に向かう」と報告し南東方向の空母群へと向かおうとしたが、栗田長官は位置的に近い榛名に攻撃を命じたため、金剛は南西方向の空母群へと向かった。その途中、金剛は重巡部隊の砲撃によって40発もの命中弾を受け満身創痍の状態となった護衛駆逐艦サミュエル・B・ロバーツと9時2分に遭遇し、これに主砲を一斉射し直撃弾を与えた。金剛の主砲弾を前部5in砲塔と後部機関室に受け、致命傷を負ったサミュエル・B・ロバーツは同35分に総員退去を行った<ref name="newkongougata-186" />。この後軽巡洋艦[[矢矧 (軽巡洋艦)|矢矧]]と第十七駆逐隊(駆逐艦[[浦風 (陽炎型駆逐艦)|浦風]]、[[磯風 (陽炎型駆逐艦)|磯風]]、[[雪風 (駆逐艦)|雪風]])」からの止めの砲撃を受け、10時5分に沈没している<ref>[[#昭和19年10月17日〜捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(1)]]</ref>。しかし金剛は、サミュエル・B・ロバーツとの戦闘により空母群の追撃から脱落することになってしまった<ref name="newkongougata-186" />。