「雷 (吹雪型駆逐艦)」の版間の差分

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雷の損傷修理は[[1943年]](昭和18年)1月28日に終わり、1月30日に北方部隊に編入の上、那智を護衛して2月3日に横須賀を出撃した<ref name="81t4"/>。しかし不具合があり2月6日に横須賀に引き返したあと、2月20日まで再修理ののち横須賀を発ち2月22日に大湊に入港した<ref name="95t5">[[#田村 |田村俊夫(2010)]] p.95</ref>。3月22日、[[アッツ島]]への輸送作戦で那智、羽黒等と輸送船2隻を護衛して幌筵島を出撃するが、その途中の3月27日、アッツ島沖でアメリカ艦隊と遭遇し交戦([[アッツ島沖海戦]])。雷は海戦で主砲を13発撃っただけにとどまった<ref name="95t5"/>。幌筵島に帰投後の3月30日、嵐のため抜錨作業中に幌筵海峡で駆逐艦[[若葉 (初春型駆逐艦)|若葉]]の前部右舷への接触事故をおこして艦首が圧し潰れる損傷をこうむった<ref name="95t5"/><ref>[[#奇蹟の海から|橋本衛(1984)]] pp.229-231</ref>。大湊で応急修理の後4月8日に出港し、途中不具合による大湊への反転を挟んで4月11日に横須賀に帰港、4月30日まで修理が行われた<ref name="95t5"/><ref>[[#奇蹟の海から|橋本衛(1984)]] p.235</ref>。
 
この間の4月1日、第六駆逐隊は新編成の第十一水雷戦隊([[木村進 (海軍軍人)|木村進]]少将)に編入される<ref name="96t5">[[#田村 |田村俊夫(2010)]] p.96</ref>。4月15日以降は内南洋部隊に転属して日本本土とトラック間の船団護衛任務に従事することとなり<ref>[[#田村 |田村俊夫(2010)]] p.96,100</ref>、5月4日に[[特設巡洋艦]][[盤谷丸 (特設巡洋艦)|盤谷丸]]([[大阪商船]]、5,351トン)と特務艦[[間宮 (給糧艦)|間宮]]を護衛して[[佐伯市|佐伯]]を出撃し、5月12日にトラックに到着<ref name="100t5">[[#田村 |田村俊夫(2010)]] p.100</ref>。トラック止まりの間宮はここで分離し、5月16日に引き続き盤谷丸を護衛してトラックを出撃し[[ジャルート環礁]]に向かう<ref name="kcl301">[[#木俣滋郎(1989)]] p.301</ref>。この途上、5月20日午後に[[ジャルート環礁]]ジャンボール水道付近にいたったところでアメリカの潜水艦[[ポラック (潜水艦)|ポラック]] (''{{lang|en|USS Pollack, SS-180}}'') から発見され<ref>[[#野間恒 (1995)]] p.109</ref>、ポラックの雷撃により盤谷丸は被雷沈没した。雷は爆雷で反撃を行ったが、ポラックに損傷を与えただけで取り逃がした<ref>[[#SS-180, USS POLLACK]] p.157</ref><ref>[[#木俣滋郎(1989.8)]] pp.223-224</ref>。以降[[1944年]](昭和19年)4月までの1年近くの間、雷は船団護衛任務に従事した。任務の合間を縫って1944年1月6日から13日の間に横須賀で工事を行い、水中聴音儀と[[電波探知機]](逆探)の装備および艦橋前の13ミリ連装機銃の25ミリ連装機銃への換装工事が行われた<ref name="120t6">[[#田村 |田村俊夫(2010)]] p.120</ref>。工事期間の短さから、二番砲塔の撤去については実施されなかったと推定されている<ref>[[#田村 |田村俊夫(2010)]] p.120,127</ref>。工事終了後、雷は[[1944年]](昭和19年)1月25日に[[館山市|館山]]を出撃し、トラックに進出する[[仮装巡洋艦|特設巡洋艦]][[赤城丸 (特設巡洋艦)|赤城丸]]([[日本郵船]]、7,366トン)並びに2隻の特設運送船、[[愛国丸 (特設巡洋艦)|愛国丸]](大阪商船、10,437トン)と[[靖国丸 (特設潜水母艦)|靖国丸]](日本郵船、11,933トン)を護衛<ref name="140t7">[[#田村 |田村俊夫(2010)]] p.140</ref>。1月31日にアメリカの潜水艦[[トリガー (SS-237)|トリガー]](''{{lang|en|USS Trigger, SS-237}}'') の雷撃で靖国丸が沈没したが、翌2月1日にトラックに到着した<ref name="140t7"/>。
 
[[マリアナ諸島]]防衛強化のための[[松輸送]]にも従事し3月22日、船団指揮官[[伊集院松治]]少将(第一特設船団司令官)の指揮下、護衛艦(軽巡《[[夕張 (軽巡洋艦)|夕張]]》〔旗艦〕、駆逐艦2隻《雷・[[玉波 (駆逐艦)|玉波]]》、水雷艇《鴻》、海防艦4隻《[[平戸 (海防艦)|平戸]]・[[能美 (海防艦)|能美]]・[[第四十八号海防艦|第48号]]・[[第五十一号海防艦|第51号]]》、[[第五十四号駆潜艇|第54号駆潜艇]])、加入船舶12隻として東京湾を出撃<ref name="叢書(46)363">[[#叢書46海上護衛戦]]363頁『東松三号船団』</ref><ref>[[#駒宮真七郎(1987)]] p.154</ref>。パラオ行きの船団(玉波・平戸・能美・辰浦丸・[[乾安丸 (1942年)|乾安丸]]・富津丸・長白山丸・南洋丸・早埼)を分離したあと、3月30日に損害なく[[サイパン島]]に到着した<ref name="叢書(46)363"/>。