「スーパーエース」の版間の差分

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'''スーパーエース'''とは、セッター対角のポジションに置かれ、前衛・後衛を問わず積極的に攻撃に参加する選手のことを指す(1980年代に発生した[[和製英語]]<ref>[http://ameblo.jp/shun-ya/entry-10565221988.html 人・かお・トーク「初のバレーボール用語辞典を出版、遠藤俊郎さん」 - 毎日jp]</ref>)。打数も多く、チームの中心的なスパイカーである[[中垣内祐一]]や[[大林素子]]らに対して [[松平康隆]]が初めて用いた呼び名であるといわれている<ref>[http://sankei.jp.msn.com/sports/news/120105/oth12010519310019-n1.htm 【松平康隆氏死去】「ミュンヘン」の教え子ら惜しむ声 - MSN産経ニュース 2012年1月5日]</ref><ref>[http://vbm.link/4092/2/ 最後の、スーパーエース (前編)]</ref>。
 
 1981年ワールドカップにおいて全日本男子チームは、[[藤田幸光]]をセッター対角([[オポジット]])に入れ、[[アウトサイドヒッター]]の[[田中幹保]]、[[花輪晴彦]]と三角形エースの布陣を組んだ。藤田が前衛にまわった際には田中、花輪がライトにまわるという変形フォーメーションであり、ある意味で藤田のポジションは日本におけるスーパーエースのはしりと言える<ref>{{Cite web |url=https://entamedata.web.fc2.com/sports3/volley_wcup.html|ワールドカップバレー 歴代優勝国/日本成績(1965年~現在)【PRiVATE LiFE】データベース|accessdate=2019-11-17}}</ref>。その後、1981年のロサンゼルスオリンピックにて[[田中幹保]]がセッター対角のポジションを務めた。それ以降、セッター対角のポジションは、[[中垣内祐一]]に代表されるような極めて攻撃能力に長けた大型の選手が務めるスタイルが主流となった。
 
 スーパーエースはサーブレシーブなどの守備を免除されることが多く、前衛のみでなく後衛においても積極的な攻撃参加を求められるため、高いバックアタックの能力が要求される。そのため、高いジャンプ力と、強烈なスパイクを繰り出すためのパワー、そしてスタミナが要求される。通常、2名の対角を組むアウトサイドヒッターとの位置関係から、ライト側からの攻撃参加がメインとなるため、[[山本隆弘]]や[[清水邦広]]のように[[左利き#スポーツ|左利き]]の選手が起用されることが多い。