「ハドリアヌス帝の回想」の版間の差分

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{{複数の問題|参照方法=May 2015|単一の出典=May 2015}}
{{複数の問題|参照方法=May 2015|単一の出典=May 2015}}『'''ハドリアヌス帝の回想'''』(ハドリアヌスていのかいそう、[[フランス語]]:''Mémoires d'Hadrien'')は、[[1951年]]に発表された[[マルグリット・ユルスナール]]による[[歴史小説]]。第14代[[ローマ皇帝]]で[[五賢帝]]の一人[[ハドリアヌス]]が、その死に際し自身の後継者と目していた[[マルクス・アウレリウス・アントニウス]]に宛てて記した回想録の形を取って書かれている。軍人時代の業績から皇帝としての政治上のさまざまな配慮、各地への視察、芸術への愛着や[[アンティノウス]]への執心、後継者選びから病の苦悩にいたるまで、出来事の大筋は史実に沿いつつも、ハドリアヌスその人の内面に寄り添って、彼の時々の洞察や内省、苦悩を描き出すことに重きが置かれており、心理小説と歴史小説の融合を成し遂げた作品として評価されている。
[[File:Yourcenar Hadrian 1stEdition Plon 1951.jpg|thumb|Plon書店 初版カバー 1951]]
{{複数の問題|参照方法=May 2015|単一の出典=May 2015}}『'''ハドリアヌス帝の回想'''』(ハドリアヌスていのかいそう、[[フランス語]]:''Mémoires d'Hadrien'')は、[[1951年]]に発表された[[マルグリット・ユルスナール]]による[[歴史小説]]。第14代[[ローマ皇帝]]で[[五賢帝]]の一人[[ハドリアヌス]]が、その死に際し自身の後継者と目していた[[マルクス・アウレリウス・アントニウス]]に宛てて記した回想録の形を取って書かれている。軍人時代の業績から皇帝としての政治上のさまざまな配慮、各地への視察、芸術への愛着や[[アンティノウス]]への執心、後継者選びから病の苦悩にいたるまで、出来事の大筋は史実に沿いつつも、ハドリアヌスその人の内面に寄り添って、彼の時々の洞察や内省、苦悩を描き出すことに重きが置かれており、心理小説と歴史小説の融合を成し遂げた作品として評価されている。
 
ユルスナールは、20歳だった1924年に初めてこの作品に着手したが、さまざまな形式を試みたのち一旦断念、その後幾度も着手と放棄を繰り返し、最終的に40代に入った1948年から1951年にかけ書き上げた。「作者による覚え書き」では「わたしの生涯のかなりな期間は、このひとり人間のみ<!--原文ママ-->―しかもすべてとつながりをもつ人間―を定義し、ついで描こうと試みることに費やされた」と記されている。この作品は発表後すぐ内外の批評家の賛辞を受け、代表作とみなされた。