「説明のギャップ」の版間の差分

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'''説明のギャップ'''(せつめいのギャップ、英:explanatory gap)とは、主に[[神経科学]]や[[心の哲学]]といった[[意識]]に関する研究を行う学術分野で使われる言葉で、脳に関する客観的で物理的な記述と、意識の主観的な側面([[現象的意識]]や[[クオリア]]とよばれるもの)に関する記述との間にある、説明的なつながりの欠落のこと。アメリカの哲学者ジョセフ・レヴァイン(Joseph Levine)が、1983年の論文 "Materialism and qualia: The explanatory gap" の中で使用した言葉。
 
そうしたギャップが本当にあるのか、またあったとしてどのような類のギャップか、といった点がしばしば議論される。代表的な立場として次のような「そもそのがある。ギャップなどもともとは存在しないという立場では、ギャップを議論する識者の間でその表現が疎通しあえないと主張しあう状態のことであるが、客観的に見てもれは私たちこに共通性が見いだせない現段階での我々が共有している概念や知識、表現方法の不足によるものであり、科学の進歩によりやがて埋まとす、という立場これは「説明のギャップは存在論的なギャップを意味し、存在の証明は将来の科学的な知見の進歩によっやがては埋まであろう、という考える立場などである。
 
実際に、現象として全く同じ物の色を見ているのにも関わらず、人によって全く違う色を表現する場合があることが知られている。[[色覚異常]]の場合を除き、これは[[錯視#色に関する錯視|色の恒常性]]に対する[[錯覚]]として説明されてい。ここではこの現象を個人ごとに異なる表現の語彙の差である場合も考えられとしこれすなわち色を表現する者どうし持つ互いの知識や経験に差異があること理解不足としであり、違う色を見いるという状況の存在の証されには当たらないとする立場である。
 
== 参考文献 ==