「小松聖」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
ページの白紙化
タグ: 白紙化 サイズの大幅な増減 モバイル編集 モバイルウェブ編集
1行目:
{{存命人物の出典明記|date=2017年3月}}
{{Infobox baseball player
|選手名 = 小松 聖
|所属球団 = オリックス・バファローズ
|役職 = 投手コーチ
|背番号 = 88
|選手写真ファイル名 = 2015Bs28.jpg
|写真のコメント = 現役時代<br/>(2015年7月10日 [[阪神鳴尾浜球場]]にて)
|国籍 = {{JPN}}
|出身地 = [[福島県]][[いわき市]]
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1981|10|29}}
|没年月日 =
|身長 = 180
|体重 = 80
|利き腕 = 右
|打席 = 右
|守備位置 = [[投手]]
|プロ入り年度 = {{NPBドラフト|2006}}
|ドラフト順位 = 希望入団枠
|初出場 = 2007年7月16日
|最終出場 = 2016年9月29日(引退試合)
|年俸 =
|経歴 =
* [[福島県立勿来工業高等学校]]
* [[国士舘大学硬式野球部|国士舘大学]]
* [[JR九州硬式野球部|JR九州]]
* [[オリックス・バファローズ]] (2007 - 2016)
|経歴補足題 = コーチ歴
|経歴補足 =
* オリックス・バファローズ (2017 - )
|代表チーム = {{Flagicon|JPN}} [[野球日本代表|日本]]
|五輪 =
|WBC = [[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|2009年]]
}}
{{MedalTableTop}}
{{MedalCountry|{{JPN}}}}
{{MedalCompetition|[[ワールド・ベースボール・クラシック]]}}
{{MedalGold|[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|2009]]|野球}}
{{MedalBottom}}
'''小松 聖'''(こまつ さとし、[[1981年]][[10月29日]] - )は、[[福島県]][[いわき市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]]、右投右打)、[[プロ野球コーチ|コーチ]]。2017年から[[オリックス・バファローズ]]の二軍投手コーチ、2020年から一軍投手コーチを務める。
 
== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
いわき市立小名浜第一中学校から[[福島県立勿来工業高等学校]]に入学。3年夏は[[全国高等学校野球選手権福島大会|福島大会]]ベスト16。その後、[[東都大学野球連盟|東都大学リーグ]]の[[国士舘大学]]に進学し、下級生の頃からベンチ入りしたものの大学では通算4勝に留まった。
 
{{by|2004年}}に[[社会人野球]]の[[九州旅客鉄道|JR九州]]に入社。[[都市対抗野球大会]]九州地区二次予選準決勝の日産自動車九州戦で先発したが序盤で打ち込まれて降板。秋の[[社会人野球日本選手権大会]]九州地区二次予選では第2代表決定戦となった九州三菱自動車戦で、3連投で本来の調子ではなかったエースの[[樋口龍美]]をリリーフして代表権獲得に貢献した。
 
{{by|2005年}}は樋口と[[町豪将]]の2人がプロ入りしてチームを抜け、140km/h前後の速球と2種類のスライダーを武器に台頭した。[[JABA四国大会]]では敢闘賞を受賞。[[第76回都市対抗野球大会]]九州予選では第1代表獲得に貢献する好投でMVPに選ばれた。本大会では、初戦で[[三菱重工神戸・高砂硬式野球部|三菱重工神戸]]に[[サヨナラゲーム|サヨナラ]]勝ち、準々決勝では[[Honda硬式野球部|ホンダ]]に勝利。準決勝では[[日産自動車硬式野球部|日産自動車]]に敗れたものの69年ぶりの4強入りを果たし、優秀選手賞を受賞。社会人野球日本選手権大会九州予選でも勝ち抜き、本大会では同年の都市対抗覇者[[三菱ふそう川崎硬式野球部|三菱ふそう川崎]]との2回戦で先発して5[[安打]]9[[三振#奪三振|奪三振]]で[[完封]]勝利を挙げた。
 
{{by|2006年}}は吉田博之監督<ref>主に[[1980年代]]に[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス・福岡ダイエーホークス]]で活躍した[[捕手]]の[[吉田博之]](後に[[阪神タイガース]]にも在籍)とは別人である。</ref>の手の内を隠す方針{{要出典|date=2015年10月}}で[[オープン戦]]にはほとんど[[登板]]せず、ここ一番の試合に限定して起用された。その信頼に応えて[[第77回都市対抗野球大会]]九州予選準決勝の日産自動車九州戦では1失点[[完投]]、第1代表決定戦の三菱重工長崎戦では完封し、前年に引き続き本大会出場に貢献した。本大会では初戦の西濃運輸戦でソロ[[本塁打]]1点に抑えたものの[[打線]]の援護が無く0-1で敗退。社会人野球日本選手権九州2次予選では、初戦の三菱重工長崎戦で1失点完投。連投となったホンダ熊本戦では完投したものの2本塁打を打たれ3-5で敗戦。敗者復活2回戦の日産自動車九州戦ではリリーフとして登板し3連投となったが、サヨナラ本塁打を打たれて代表権獲得はならなかった。しかし安定感の有る投球が評価され、同年の[[プロ野球ドラフト会議]]で[[オリックス・バファローズ]]に[[希望入団枠制度|希望枠]]で入団。
 
=== オリックス時代 ===
{{by|2007年}}7月16日に[[リリーフ#中継ぎ|中継ぎ]]としてプロ初登板。9月9日の対[[福岡ソフトバンクホークス|ソフトバンク]]戦で、リードされた場面で登板し1回を無失点に抑えるとその後チームが逆転しプロ初勝利。[[ウエスタン・リーグ]]では26試合40回を投げて49奪三振、[[防御率]]3.15の成績を残した。
 
{{by|2008年}}は中継ぎとしてスタートしたが、先発に転向。4月9日の対ソフトバンク戦でプロ初先発し5回1失点で先発初勝利。4月16日の同カードでは9回2死まで1失点の好投で2勝目。[[セ・パ交流戦]]では初戦の対[[広島東洋カープ|広島]]戦、2戦目の対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦と連続KOされ、その後は中継ぎに回ったがリーグ戦再開後は先発に復帰。7月8日の対[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]戦では9回1失点で初完投勝利を記録。7月28日の対[[埼玉西武ライオンズ|西武]]戦以降は10試合に先発して9勝負け無し、シーズン最終登板となった9月28日の対西武戦で3度目の完投勝利を挙げ、球団では{{by|1995年}}の[[平井正史]]以来13年ぶりとなる15勝目を記録した。パ・リーグ球団との対戦成績は15勝1敗、防御率2.09。また、チームが敗れた次の試合で11度先発し10勝1敗と連敗を止める役割を果たした。[[2008年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]では2戦目に先発したが敗戦投手となり、チームは敗退となった。シーズン終了後には、記者投票'''171票中170票'''という圧倒的な得票で[[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]]を獲得。
 
{{by|2009年}}は[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|第2回WBC日本代表]]に選出された。韓国との第2ラウンド1位決定戦で2番手として登板し、2回1/3を投げ無失点の5奪三振と完璧に抑え、勝利に貢献した。ペナントレースでは、4月3日の対ソフトバンク戦で初めて[[開幕投手]]を務めた。しかし、この試合で5回7失点と打ち込まれると、次の4月10日の対ロッテ戦でも5回途中6失点と打ち込まれ、翌日に2軍降格。4月24日の対日本ハム戦で一軍復帰を果たすも、7回途中で自己ワーストの11失点。以後も調子が上がらず、交流戦序盤で2軍降格。7月15日の対ロッテ戦(京セラドーム大阪)で2失点完投でシーズン初勝利を果たした。しかし、精彩を欠いた投球が多く、17試合で1勝9敗、防御率7.09と前年から大きく成績を落とした。
 
{{by|2010年}}はキャンプに監督の[[岡田彰布]]からリリーフ転向を命じられ、抑え候補にも挙げられていたが調整の遅れもあり中継ぎとなる。開幕後はリリーフとして存在感を見せたが、[[岸田護]]が抑えに転向したことに伴い交流戦から先発に転向し、5月13日の対ヤクルト戦で5回2失点で勝利を挙げるなど、交流戦中先発5試合で2勝2敗であった。交流戦後も先発として起用されたが打ち込まれる場面が目立つようになり、7月以降はわずか1勝を挙げるのみに終わる。そして、8月27日の対日本ハム戦登板後に右肋骨が疲労骨折していたことが判明し登録抹消、そのままシーズン終了を迎えた。最終成績は29試合登板し、防御率4.77であったが、そのうちリリーフでは16試合登板し、防御率1.69だったのと対照的に、先発では13試合、防御率5.51、4勝7敗であった。
 
{{by|2011年}}は怪我で開幕を二軍で迎える。5月10日にロングリリーフ要員として一軍に昇格したが、その日の登板で僅か0回1/3を投げて(かつ、アウトは犠飛によるもの)被本塁打1を含む被安打5の集中打で5失点を喫し、翌日に二軍落ち。防御率は135.00だった。以降は一度も一軍に昇格をすることなく二軍生活を送った。2軍ではチームで唯一規定投球回数に到達し、リーグ最多の98奪三振、防御率は3.02と[[ウエスタン・リーグ]]3位ながら、6勝7敗と今一つの結果に終わった。この年、第一子となる長女が生まれた。
 
[[File:Komatsu satoshi.jpg|thumb|180px|2012年7月8日 [[千葉マリンスタジアム|QVCマリンフィールド]]にて]]
{{by|2012年}}も開幕を二軍で迎えたが、ファームでは当初抑えを務め、6月2日に1軍登録。しばらくはリリーフで登板を重ね、6月23日の対西武戦で3回無失点の好投を見せると、同月25日の同カードでは2回裏2死から登板して4回1/3を無失点に抑え、2010年7月31日楽天戦以来695日ぶりの白星を手にした<ref>{{cite news |title=【オリックス】小松が2年ぶりの勝利 |newspaper=nikkansports.com |date=2012-06-25 |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120625-973075.html|accessdate=2012-10-10}}</ref>。この好投を受け、7月1日の対ロッテ戦から先発に転向。途中3試合の救援登板も挟んだが、8月11日の対ロッテ戦で5回無失点に抑え、742日ぶりの先発勝利をあげた。しかし、12試合のリリーフ(うち6試合は1イニング超のロングリリーフ)で1勝3ホールド、防御率2.21と好成績を残したのに対し、9度の先発では2勝5敗、防御率6.14と結果を残せず、2010年と同様の傾向を示す成績に終わった。
 
{{by|2013年}}は中継ぎで敗戦処理としての起用が多く、27試合に登板したが防御率4点台と安定感を欠いた。
 
{{by|2014年}}はさらに登板機会を減らし、わずか4試合に終わった。
 
{{by|2015年}}は終盤近くに1軍登録され、9月18日の楽天戦で延長10回に6番手として登板し、プロ初[[セーブ]]を挙げた<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1540382.html オリックス小松、プロ9年目で初セーブ]日刊スポーツ.2015年9月18日、閲覧2015年10月5日</ref>。だが2軍暮らしが長かったこともあり、登板は12試合にとどまった。
 
{{by|2016年}}は開幕一軍入りするも開幕第2戦の西武戦で3番手として登板したが勝ち越され敗戦投手となり、その後二軍落ちした。6月に一軍昇格し、2試合登板するも再度二軍落ちした。その後は出番に恵まれず今シーズン限りで現役引退することを発表した。9月29日の楽天戦が引退登板で先発し、先頭の[[島内宏明]]に右前安打を打たれ降板した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1717313.html オリックス小松が引退登板 最後は島内に右前安打]日刊スポーツ.2016年9月29日</ref>。これにより10年間の現役生活に幕を下ろした。
 
=== 引退後 ===
{{by|2017年}}からオリックスの二軍投手コーチに就任した。11月25日から[[台湾]]で開催される[[2017年のアジアウインターベースボールリーグ|2017アジアウインターベースボールリーグ]]において、NPBウエスタン選抜の投手コーチを務める<ref name="NPB member">{{Cite web|date=2017-11-17|url=http://npb.jp/winterleague/2017/roster.html|title=2017アジアウインターベースボールリーグ(AWB)NPBメンバー一覧|publisher=[[日本野球機構|NPB.jp]]|accessdate=2017-11-21}}</ref>。
 
2020年からは一軍投手コーチ。
 
== 人物 ==
[[Image:Satoshi Komatsu88.jpg|thumb|right|180px|コーチ時代(2019年、[[ヤクルト戸田球場]])]]
ヒーローインタビューでは[[ものまねタレント]]である[[山本高広]]の「キターッ!」のモノマネをする。「キタ、キタ、キタ、キタ、キターッ!」と言ったり、右手を上げた際、握り拳ではなくピースサインだったりなど独自のアレンジが加えられている。シーズン終了後、山本からは新ネタの提供と「キターッ!」を広めたことへの感謝の手紙を貰った。[[参天製薬]]から知名度アップに貢献したお礼として目薬「サンテFXネオ」を3ダース、計36箱プレゼントされた{{要出典|date=2015年10月}}。
 
2008年にはデーゲームの試合前練習をナイターと間違えて3時間の遅刻をしてしまい、球団から厳重注意を受けて20万円の罰金を課せられた{{要出典|date=2015年10月}}。
 
2009年7月、元タレントの[[上條ひとみ]]と入籍。同年12月1日に[[ハワイ]]で挙式した。
 
2011年から、小松は愛犬団体である[[ONE LOVE]]への賛同企画として、プロ野球公式戦において独自のルール<ref>http://www.onelove.cc/komatsu/index.html</ref>によって決められた金額により、愛犬団体への寄付を開始した。小松は、「人にも犬にも夢を与えていきたい。野球選手であり愛犬家の自分ができることを、おもいっきりやってみたいと思うんです。」と話している<ref>http://www.onelove.cc/komatsu/index.html</ref>。しかし、2011年は1試合のみの登板であったため、計算上の寄付金額はわずか1000円に終わってしまった。
 
2016年1月12日、[[福岡県]][[北九州市]]にある[[JR九州硬式野球部]]のグラウンドで[[白仁田寛和]]、[[佐野皓大]]、[[吉良俊則]]トレーナーら4人で行っていた合同練習の帰路で、住宅街の路上でうずくまっていた96歳の女性を救助し、白仁田が女性をおんぶして数百メートル離れた女性の自宅まで送り届けた。女性は股関節付近を[[骨折]]しており搬送先の病院で治療を受けたが、幸いにも4人の救助が功を奏して命に別状はなかった<ref>{{cite news |title=小松&白仁田&佐野 自主トレ帰りに96歳女性救助していた |newspaper=spnannex |date=2016-01-13 |url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160113-00000001-spnannex-base|accessdate=2016-01-13}}</ref>。
 
== 詳細情報 ==
=== 年度別投手成績 ===
{|{{投手成績|リーグ=日本プロ野球}}
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2007}}
|rowspan="10" style="text-align:center;white-space:nowrap;"|[[オリックス・バファローズ|オリックス]]
|8||0||0||0||0||1||0||0||2||1.000||40||10.2||7||2||3||0||0||13||1||0||3||3||2.53||0.94
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2008}}
|36||22||3||0||0||15||3||0||3||.833||688||172.1||134||14||42||1||2||151||4||0||55||48||2.51||1.02
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2009}}
|17||17||2||0||0||1||9||0||0||.100||428||91.1||121||17||40||1||4||74||6||0||78||72||7.09||1.76
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2010}}
|29||13||1||0||0||5||8||0||2||.385||381||83.0||107||10||27||3||4||58||5||0||47||44||4.77||1.61
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2011}}
|1||0||0||0||0||0||0||0||0||----||6||0.1||5||1||0||0||0||0||0||0||5||5||135.00||16.67
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2012}}
|21||9||0||0||0||3||5||0||2||.375||288||64.1||73||7||19||1||7||45||0||0||38||35||4.90||1.43
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2013}}
|27||0||0||0||0||0||0||0||1||----||169||39.1||42||2||12||0||3||32||0||0||19||19||4.35||1.37
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2014}}
|4||0||0||0||0||0||0||0||0||----||18||3.2||4||0||3||0||1||1||0||0||1||1||2.45||1.91
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2015}}
|12||0||0||0||0||0||0||1||1||----||53||14.1||7||1||5||0||1||13||1||0||4||4||2.51||0.84
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2016}}
|4||1||0||0||0||0||1||0||0||----||20||3.1||6||1||3||0||0||1||1||0||4||4||10.08||2.70
|-
!colspan="2"|[[日本プロ野球|NPB]]:10年
|159||62||6||0||0||25||26||1||11||.490||2091||482.2||506||55||154||6||22||388||18||0||254||235||4.38||1.37
|}
 
=== 表彰 ===
* [[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]] (2008年)
* [[最優秀新人 (日本プロ野球)|2008ゴールデン・ルーキー賞]] (2008年)
* [[ヤナセ]] オリックス・バファローズMVP賞:1回 (2008年)<ref>{{Cite web|url=http://www.buffaloes.co.jp/news/detail/439.html|title=小松聖選手「ヤナセMVP賞」贈呈式&サイン会のお知らせ|publisher=[[オリックス・バファローズ]]|date=2008-12-05|accessdate=2018-02-28}}</ref>
* [[いわき市|いわき市市民栄誉賞]] (2008年)<ref>{{Cite web|url=http://www.buffaloes.co.jp/news/detail/448.html|title=小松聖選手が「いわき市市民栄誉賞」受賞のお知らせ|publisher=[[オリックス・バファローズ]]|work=|date=2008-12-12|accessdate=2017-12-04}}</ref>
 
=== 記録 ===
; 投手記録
* 初登板:2007年7月16日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]12回戦([[千葉マリンスタジアム]])、7回裏2死に4番手で救援登板・完了、1回1/3を無失点
* 初奪三振:2007年9月1日、対千葉ロッテマリーンズ18回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏に[[サブロー]]から空振り三振
* 初勝利:2007年9月9日、対[[福岡ソフトバンクホークス]]21回戦([[福岡ドーム|福岡Yahoo! JAPANドーム]])、6回裏に2番手で救援登板、1回無失点
* 初ホールド:2007年9月13日、対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]23回戦([[宮城球場|フルキャストスタジアム宮城]])、8回裏に2番手で救援登板、1回無失点
* 初先発登板・初先発勝利:2008年4月9日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、5回1失点
* 初完投勝利:2008年7月8日、対東北楽天ゴールデンイーグルス12回戦([[宮城球場|クリネックススタジアム宮城]])、9回1失点
* 初セーブ:2015年9月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス22回戦([[宮城球場|楽天koboスタジアム宮城]])、10回裏に6番手で救援登板・完了、1回無失点
; その他の記録
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:1回 (2008年)
 
=== 背番号 ===
* '''28''' (2007年 - 2016年)
* '''88''' (2017年 - )
 
=== 登場曲 ===
*「Burning Heart」[[サバイバー (バンド)|Survivor]]
*「Blue Flame」[[TAKUYA]]
 
=== 代表歴 ===
* [[2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表]]
* [[2017年のアジアウインターベースボールリーグ|2017アジアウインターベースボールリーグ]]:NPBウエスタン選抜:投手コーチ<ref name="NPB member" />
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[福島県出身の人物一覧]]
* [[国士舘大学の人物一覧]]
* [[オリックス・バファローズの選手一覧]]
* [[中野滋樹]] - 社会人時代[[バッテリー]]を組んでいた同僚
 
== 外部リンク ==
{{NPB|31935114}}
{{BASEBALLstats|brjpn=komats001sat|cube=Satoshi-Komatsu}}
* {{Amebaブログ|kinakomochi28|小松聖オフィシャルブログ 一球入魂}}
 
{{オリックス・バファローズ}}
{{Navboxes|title=業績
|list1=
{{パシフィック・リーグ新人王}}
{{オリックス・バファローズ開幕投手|オリックス・バファローズ}}
}}
{{2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表}}
{{オリックス・バファローズ2006年ドラフト指名選手}}
 
{{デフォルトソート:こまつ さとし}}
[[Category:日本の野球選手]]
[[Category:国士舘大学硬式野球部の選手]]
[[Category:JR九州硬式野球部及びその前身チームの選手]]
[[Category:オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:パシフィック・リーグ最優秀新人 (NPB)]]
[[Category:NPBオールスターゲーム選出選手]]
[[Category:野球日本代表選手]]
[[Category:アジア競技大会野球日本代表選手]]
[[Category:日本のアジア競技大会銀メダリスト]]
[[Category:ワールド・ベースボール・クラシック日本代表選手]]
[[Category:2009 ワールド・ベースボール・クラシック選手]]
[[Category:日本の野球指導者]]
[[Category:福島県出身の人物]]
[[Category:1981年生]]
[[Category:存命人物]]