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{{出典の明記|date=2015年11月}}
'''天下の台所'''(てんかのだいどころ)とは、[[江戸時代]]に[[物流]]、[[商業]]の中心地であった大阪を指した異名として使われる用語。全国の[[藩]]が大坂に[[蔵屋敷]]などを設け、生活物資の多くが一旦生産地より大阪に集められて再度全国の消費地に送られたからであると言われている。
 
当時、家の中で家財道具をはじめ物品が数多く存在した場所は[[台所]]であった、故に日本を家と考えた場合、多くの物資で溢れかえっていた大阪の様を捉えて「台所」に相当すると考えられていた。
 
[[公文書]]では、[[天保]]13年([[1843年]])に[[天保の改革]]による[[株仲間]]廃止論に異論を唱えた[[大坂町奉行]][[阿部正蔵]]の意見書(「諸色取締方之儀ニ付奉伺候書付」)の中に「大坂表之義は諸国取引第一之場所」「世俗諸国之台所と相唱」という文面が見られる。
このため、これを「天下の台所」の由来とする見方が広くなされている。
 
ただ、正確な用語としては、大阪市史料調査会主任調査員の野高宏之によると、江戸時代の文献に大坂を「'''諸国之台所'''」「'''日本の賄い所'''」と評する記述は存在するが、「天下之台所」と直接記述した文献は存在せず、[[大正時代]]に[[幸田成友]]が『[[大阪市史]] 第二』等の叙述中で用いた用語が、一般に広まっていく過程で、江戸時代から存在した言葉と[[誤解]]された事が分かっている。
 
== 関連項目 ==