「ミー・アンド・マイガール」の版間の差分

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{{otheruses||宝塚版|ミー・アンド・マイガール (宝塚歌劇)}}
'''ミー・アンド・マイガール''' ('''Me And My Girl''') は、1930年代の[[ロンドン]]を舞台にした[[ミュージカル]]。
 
==概要==
[[1937年]]にイギリス、ロンドンで初演され、『[[マイ・フェア・レディ]]下町・ランベスで育った名門貴族の御落胤男性版<ref>結局最後には主人公ビル後継ぎとしてその恋人サリーも、それぞれ一人前の紳士淑女仕立てられ。そして彼同じくランベスの恋人サリーはビルの伯母男女共、でマリアから、下町出身。</ref>いうことや礼儀作法がなっていないことなどで認めてらえない上言われるミュージカル。因みに名前一人前になっみ出ビルを見てるがサリー自身『マイ・フェア・レディ』の主人公と「自分は釣り合わな」と思い、ランベスに帰ってしまった。そこでビルの伯父にあたジョ「ヒギズ教授」サリー一人前のレディにするこしたで、マリアに認めてもらうことができ、晴れてビルとサリーはお屋敷で共に暮らすことができるよ設定になった、とう物語[[イギリス]]のミュージックホールの音楽をベースにしたテンポの良い音楽、小気味よいタップダンス、出演者が客席で歌い踊る場面などで構成された娯楽作品。
 
[[1937年]]に英ロンドンで初演され、『[[マイ・フェア・レディ]]』の男性版とも言われる(だが、結局最後にはビルもサリーもそれぞれ一人前の紳士淑女になるので、男女共である)。因みに、名前のみ出てくるが、「マイ・フェア・レディ」の主人公ともいえる「ヒギンズ教授」がサリーを一人前のレディにしたという設定になっている。コメディアンのルピノ・レインに当て書きされたとされ、初演ではルピノ自身が主役のビルを演じた。ルピノ、その体当たり演技が評判となり[[ロングラン公演]]となった。ルピノは[[1937年]]の初演をはじめ、[[1941年]]、[[1945年]]、[[1949年]]と再演版でもビル役を務めている。
 
[[1985年]]リバイバル上演ではロバート・リンゼイが主役のビルを担当。[[1986年]]には、米ニューヨークの[[ブロードウェイ|ブロードウェー]]にも上陸した。
 
==あらすじ==
ときは1930年代後半の英国、ところはイギリス、ロンドン
 
由緒正しい名門貴族ヘアフォード伯爵家では跡継ぎを残さないまま当主が亡くなり、伯爵家の後継者探し選びが問題となっていた。当主の遺言は、若い頃のあやまちで出来た一人息子ウィリアム(通称ビル)の行方を捜し出し、彼が貴族に相応しい人ならば爵位と全財産を継がせ、そうでなければ年金を受け取らせて隠居させるというものだった。
 
この問題を話し合う為に、親戚一同(当主の妹・公爵夫人マリア、その姪ジャッキー、公爵夫人の甥ジェラルド、親族のバターズビー卿、バターズビー夫人、ジャスパー・トリング卿、そして後見人の男爵ジョン卿)が伯爵邸に集まる。
 
だが、パーチェスター弁護士が見つけてきたビルはロンドンの下町・ランベスで育った無教養で品のないがさつな下町青年だった。ジョン卿はビルを認めないが、遺言執行人の公爵夫人マリアはビルを紳士に仕立てるべく厳しい後継ぎ教育を施す。
 
ヘアフォード家の爵位と財産が転がり込むものと思っていたジャッキーは、あっさりと遊び者のジェラルドを見限り、色仕掛けでビルに迫る。ところが、ビルには同じくランベス育ちの恋人サリーがおりいて、一途な愛を貫くビルはジャッキーに容易になびかない。
 
一方、サリーは下町出身で貴族に求められる礼儀作法がなっていないことから、ビルとの関係をマリアに認めてもらえない。マリアのスパルタ教育で日に日に貴族らしくなっていくビルの姿を見て、サリーは不釣り合いな自分から身を引こうとして決心、ビルに恥をかかせ嫌われるように向け、ランベスに帰ってしまう。そんな彼女にジョン卿はある取引を持ちかける……
 
== 主な登場人物 ==