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|builders = [[鮎貝成宗]]
|build_y = [[1396年]]([[応永]]3年)
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|rulers = 鮎貝氏、伊達氏、蒲生氏、[[下条忠親]](上杉氏)
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|remains = 土塁、水堀
|cultural asset = 山形県白鷹町指定史跡
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'''鮎貝城'''(あゆかいじょう)は、[[出羽国]](現・[[山形県]][[西置賜郡]][[白鷹町]])に存在した[[日本の城]]([[平山城]])である本丸跡は白鷹町史跡に指定されている。
 
== 概要 ==
城山(標高190m)190m)の山頂から山腹にかけ城された鮎貝氏の居城である鮎貝宗信が城主の[[1587年]][[天正]]15年)、城主の鮎貝宗信が[[最上氏]]と結んで[[伊達政宗氏]]に謀反を企てたために討たれた。その後、宗信の弟である[[鮎貝宗定]]が家督を継ぐが、[[伊達政宗]][[豊臣秀吉]]により[[岩出山城]]に移封されると同行し鮎貝を去った。以降、鮎貝城は[[蒲生氏]][[上杉氏]]の支配下となり各大名家の重臣が入城した。現在城址には本丸跡に[[鮎貝八幡宮]]が祀られており、遺構の土塁や堀を確認することができる。
 
== 遺構・復元施設 ==
* 水堀と土塁
* 本丸跡の鮎貝八幡宮
* 鮎貝城復元模型 - 神社本殿の左側にある小さな社に展示されている。土塁に三層櫓と本丸御殿など。
 
== 文化財 ==
* 鮎貝城本丸跡 - 白鷹町指定史跡([[1984年]]([[昭和]]59年)[[1月11日]]指定)<ref>[http://www.town.shirataka.lg.jp/1726.html 文化財一覧] - 白鷹町、2019年11月24日閲覧。</ref>
 
== 交通 ==
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== 脚注 ==
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<div class="references-small"><references /></div>
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
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{{デフォルトソート:あゆかいしよう}}
[[Category:山形県の城]]
[[Category:山形県内の市町村指定史跡]]
[[Category:白鷹町]]