「アーサー・ウェイリー」の版間の差分
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[[経済学者]]デイヴィッド・フレデリック・シュロスの息子として[[イングランド]][[ケント (イングランド)|ケント州]]タンブリッジウェルズに生まれる。本名'''アーサー・デイヴィッド・シュロス'''('''Arthur David Schloss''')。生家は[[ロスチャイルド家]]に連なる[[ユダヤ人]]の名門。
[[ラグビー校]]を経て[[1907年]]に[[ケンブリッジ大学]][[キングス・カレッジ (ケンブリッジ大学)|キングズコレッジ]]に入学<!---イギリス英語ではカレッジでなくコレッジ(学寮)-->。古典学を専攻し、[[1910年]]に優秀な成績で卒業するも、病気療養のため進学を断念
その後の1913年より[[大英博物館]]に学芸員として勤務する。1914年、[[第一次世界大戦]]が勃発し、「シュロス」という名がドイツ系であることなどから警察によりスパイとの嫌疑をかけられたことがあり、アーサーの提案により母の旧姓である英語的なウェイリーに改姓した<ref name="miyamoto
当時、古典[[日本語]]の辞書を含む資料等が入手困難な時代に日本語と古典[[中国語]]を独学で習得するなど、語学の才能を大いに示した。さらに、数々の翻訳を行なった。特に1921年~1933年に6巻に分けて出版された『'''The Tale of Genji'''』(『[[源氏物語]]』)の翻訳者として知られる。同書は『[[タイムズ]]』紙文芸付録で詳細な批評が掲載されるなど多大な影響を及ぼし、[[日本文学]]研究およびその後の翻訳ブームの火付け役とされる。今でも『The Tale of Genji』は英語圏で読まれており、ウェイリーは日本語古典および中国語古典研究の権威とされている。
=== 人となり ===
天才型の奇人であった。[[小泉八雲|ラフカディオ・ハーン]]を「日本を理解していない」と批判し、[[阿倍仲麻呂]]の[[和歌]]について[[漢文]]で書かれた後に和歌に翻訳された可能性を指摘するなど、東アジアの古典語に通じていたが、現代日本語は操れなかった
== 『源氏物語』 ==
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== 研究対象としてのウェイリー ==
ウェイリーの翻訳が多数の[[西洋人]]の心を掴んだ事から、[[比較文学]]の研究対象とされ、源氏物語の原典とウェイリー訳の加筆・省略・表現などを比較考察した研究もある。また、様々なウェイリー自身の伝記論考もある。戦後も日本からロンドンへ研究留学に来た[[国文学者]]や[[東洋学]]者
またウェイリーは「[[ブルームズベリー・グループ]]」の一員で、女性関係が複雑で、その生涯も興味の対象となっている。特に人妻で、晩年結婚したアリスンと、謎めいた女ベリルとの三角関係は、ウェイリー没後に出された、アリスン・ウェイリー『ブルームズベリーの恋』(井原真理子訳、[[河出書房新社]]、1992年)
== 著作 ==
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== 評伝研究 ==
* [[平川祐弘]] 『アーサー・ウェイリー 「源氏物語」の翻訳者』([[白水社]]、2008年)
** 平川祐弘 『袁枚 「日曜日の世紀」の一詩人』([[沖積舎]]、2004年)、ウェイリー英訳の解説小著
* 宮本昭三郎 『源氏物語に魅せられた男 アーサー・ウェイリー伝』([[新潮社]]〈[[新潮選書]]〉、1993年)
* 安達静子 『海を渡った光源氏 ウェイリー『源氏物語』と出会う』(紅書房、2014年)
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== 脚注 ==
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== 出典 ==
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