「ジェームス・ブラウン」の版間の差分

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この時、ブラウンの医者として働いていたのはコンラッド・マーレーであった<ref>[[ジョセフ・ジャクソン]]『息子 マイケル・ジャクソンへ ~天国への遺言状~』([[講談社]]、[[2010年]]6月)</ref>。マーレーは、マイケル・ジャクソンの死因を巡り、[[過失致死傷罪]]として正式に裁判するかの[[予備尋問]]を行った。ブラウンは死の時点でツアー予定を残しており、最後まで"The Hardest Working Man in Show Business"であった。
 
12月30日にオーガスタで行われた葬儀には、約8,500人のファンやマイケル・ジャクソン、[[M.C.ハマー]]などの友人、関係者が集まり、ブラウンの音楽界に残した業績、人生を讃え最後のお別れをした。ただ、元JBズのメンバーの参列が少なかったことは残念だった。ブラウンが逝去する直前に病床で話した、ブラウンのマネジャーであるチャールズ・ボビットはそのスピーチで、ブラウンが最後まで仕事のことを気にしていたこと、マイケル・ジャクソンやプリンスとしなければならない仕事があるのだと、最後に話したことを明かした。
 
== 私生活 ==