「オリバー・ビアホフ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
45行目:
== 経歴 ==
=== 選手時代 ===
1986年、バイエル・ユルディンゲンでキャリアをスタート。その後[[西ドイツ]]や[[オーストリア]]のクラブを経て、1991年に[[セリエB (サッカー)|セリエB]]・[[アスコリ・カルチョ|アスコリ]]に移籍し得点を量産。1995年に[[ウディネーゼ]]へ移籍し、ドイツ代表にセリエAの舞台で招集され、[[1996年]][[2月21日]]多く[[ポゴートガル]]戦でデビュを決め、チ飾っヨーロッパカップ出場権に導くなど、躍進させた。1997-98年にほセリエA得点王も獲得した
1998年にウデイネーゼよりアルベルト・ザッケローニ監督、ヘルベグと共に移籍、[[ACミラン]]へ移籍してからは[[フォワード (サッカー)|フォワード]]の一角として活躍数々のタイト20ゴールをもたら決めて、1998-99シーズンのセリエA優勝に大きく貢献した。その後、[[アンドレイ・シェフチェンコ]]の加入により出場機会が減り、[[2001年]]に[[フランス・プロサッカーリーグ|リーグ・アン]]の[[ASモナコ]]へ移籍。翌年[[ACキエーヴォ・ヴェローナ]]へ移籍、2003年ヴェガルタ仙台との親善試合を兼ね引退試合が仙台で行われ、現役を引退した。
 
*[[1996年]][[2月21日]]の[[ポルトガル]]戦でデビューを飾り、[[1996年]]の[[UEFA欧州選手権|欧州選手権]]決勝、1点ビハインドの後半24分に途中出場したビアホフはその4分後に頭で同点ゴールを決め、延長戦に決勝点となる[[ゴールデンゴール]]を決める。また1998年ールイツを欧州チャンピオンに導いたビアホフカップで、[[ヨ3ゴル。2002年のワールドカパ]]にそプでもグループリーグサウジ戦でゴール広く知らしていことになった
 
1998年に[[ACミラン]]へ移籍してからは[[フォワード (サッカー)|フォワード]]の一角として活躍し、数々のタイトルをもたらした。その後、[[アンドレイ・シェフチェンコ]]の加入により出場機会が減り、[[2001年]]に[[フランス・プロサッカーリーグ|リーグ・アン]]の[[ASモナコ]]へ移籍。翌年[[ACキエーヴォ・ヴェローナ]]へ移籍した後、現役を引退した。
 
=== 引退後 ===
54 ⟶ 56行目:
 
== エピソード ==
*[[1996年]]の[[UEFA欧州選手権|欧州選手権]]決勝、1点ビハインドの後半24分に途中出場したビアホフはその4分後に頭で同点ゴールを決め、延長戦に[[ゴールデンゴール]]を決める。このゴールでドイツを欧州チャンピオンに導いたビアホフは、[[ヨーロッパ]]にその名を広く知らしめることになった。
*[[アビトゥア資格]](ドイツの大学入学資格)を持っており、ドイツで有名な[[ハーゲン通信大学]]で[[経営学]]を専攻、2005年に卒業した。
*引退試合は日本([[仙台]])で行われている。その際、仙台市から日本の[[兜]]を贈られた。
 
== 個人成績 ==