「ケントゥリア」の版間の差分
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==沿革==
伝説によると、初代[[ロームルス]]王の時代に既に騎兵ケントゥリアが
ケントゥリアがより[[ローマ軍]]の軍制としての傾向を強めていくのは[[マリウスの軍制改革]]に始まる。それまで兵士各自の所得に応じて区分されていた軍団を再編成、今まで兵役を免れていた無産階級にも登用の門戸を開き、貧富の差、年齢の区別をなくし、それまで軍の中心的役割を担っていた[[マニプルス]]に代わり[[コホルス]]とケントゥリアがローマ軍の要となる。とくに、今まで軍事的には兵士の単位程度の意味に過ぎなかったケントゥリアに軍事的な重要性が大幅に強まった。
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このほか、[[マザリナード]]の中に、『[[ジュール・マザラン]]の出生に関するサンチュリ』(1649年)や『予言的大虐殺あるいは百のサンチュリ ''La Hécatombe prophétique, ou les Cent centuries'' 』(1652年)などのように「予言」の意味で誤用しているものがあった。
== 脚注 ==
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==参考文献==
* {{Cite book|和書|ref={{sfnref|リウィウス}}|author=[[ティトゥス・リウィウス]]|title=[[ローマ建国史|ローマ建国以来の歴史]] 1|translator=岩谷智|publisher=京都大学学術出版会| year=2016}}
==関連項目==
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